昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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民主主義は両論併記の社会

「M野Y行」と言う御仁がいる。

Facebook 界隈では、ある意味有名人だ。

自顔写真入りのプロファイルを見ると、

 「四国の田舎町に住む自由業で、愛称「ヤッチャン」

歳の頃なら70前後だろう。

 

一見すると孫の相手がお似合いの風貌なのだが、彼が有名なのはFB投稿を繰り返す偏執性にある。

しかもそれは、共産党の理屈丸写しをあたかも自説の如く、自信満々に披露するものだ。

内容はお世辞にも、共産主義を真剣に学んだとは思えない。

まるで聞きかじりながら、共産主義が実現すれば、素晴らしい世の中になると信じ込んでいる。

駅前で「憲法九条を守れ」とかの署名運動をしている共産党の老人たちがいるが、恐らくはそんな類のオトコだろう。

本人は、「日本共産党の熱烈なシンパ」と称しているが、ひょっとしたら党員かも知れない。

彼自身は、極めて初心者知識の持ち主でしかないが、驚くのは、臆面もなく、あたかも知識人みたいに振る舞う厚かましさだ。

 

当方も一度、彼が

共産主義では、働いた分が正当に報酬となる」

と書いていたので

「Mさん、働いた分が報酬にならないのが共産主義社会ですよ」

と批判した。

共産主義が資本主義に敗北したのは、労働に見合う収入がない、成果を挙げても評価されないことへの不満が発生するからだ。

いくら頑張っても、人と同じ収入では、生産改善努力がなされない。

 

それに対してのM氏の再反論が

「ハァ~、共産主義社会は生産手段の共有化で、労働に見合う収入が約束されていますガァ」

と、当方の無知を嘲笑する内容だった。

しかし、ちょっと待って欲しい。

生産手段の共有化は、ソ連コルホーズ、ソホーズ、中国の人民公社でとっくに破綻している。

流石の共産主義も少しは現代風にアレンジしているもので、今時、世界中を探しても、こんな古ぼけた理屈を捏ねている共産党はない。

M氏は呆れるほど、19世紀の小児病共産主義理論を妄信している。

 

こんな程度だから、投降した途端に、批判コメントが殺到する。

ツッコミどころ満載なので、百件前後のコメントが並ぶが、賛成、賛同の意見はいつもゼロ、

全て批判か、もしくは彼を揶揄うものばかりだ。

彼もこれはストレスのようで、たまに「これならやり返せる」と思ったものには反論を試みる。

それがまた稚拙な理屈なので、更なる批判を浴びて火だるまになる。

こんなことを年中繰り返しているが、如何なる批判を浴びようとも、M氏が自説を変える様子はない。

ほぼ連日に亘って、くだらない投稿を続ける。

さすがに呆れ果てた人が、グループの管理人に除名要求を出すが、彼が投稿すると、妙に議論が盛り上がるのも事実だ。

 

M氏のような人物を知ると、話し合いで意見の相違を解決することの難しさを痛感する。

当方とM氏は、決して交わることのない平行線の存在だ。

トランプ大統領や安倍元首相は「国民を分断した」と批判されるが、もともと国民の意見は分裂している。

全国民が一致しているのは、全体主義国家だけだが、それは独裁者によって、強制的に一致させられているに過ぎない。

逆に、健全な民主主義国家なら、意見が違う集団が複数存在しているのが当たり前だ。

 

当方は、M氏はかなりレベルの低い、バカだと思っている。

しかし逆にM氏は当方みたいな人間を、愛情に溢れ深淵なる共産主義を理解しない、度し難いアホと思っているに違いない。

民主主義社会でどちらを採用するかは、多数決で決するしかないので、お互いに実にまどろっこしい。

全く正反対な考えのM氏とも付き合わなければならないとは、とかく人の世は煩わしいものだ。

しかしどんなに面倒臭くても、M氏が期待する共産主義体制になるよりも、よっぽどマシだ。