僕の世代で代表的覆面レスラーと言えば、ザ・デストロイヤーとミル・マスカラス。
元々の覆面レスラーは、基本的にヒール、即ち悪役だった。
プロレスの試合で、覆面にビール瓶の王冠を隠し、尖った部分で頭突きをかますと、正義の味方レスラーがリング上で悶絶する。
そんなシーンを見せつけられ、幼心に「ヨシ、大きくなったらデスの奴をやっつけてやる」と、義憤に駆られたものだ。
それがいつの間にか、覆面どもがベビー・フェイス側に変わった。
ワルの限りを尽くしたザ・デストロイヤーが力道山やジャイアント・馬場の助っ人になり始めたのだ。
タイガーマスクなんか、デビューの最初から、子供の憧れの的だった。
長らく日本では、顔を隠すのは疚しい証拠との見方があった。
だが、覆面レスラーたちが、それを見事に覆した。
「ワルと思っていたのに、実はいいヤツだった」のは、価値観の一大変革で 、プロレス観戦がガラリと変わるほどの出来事だった。
ところが日本には、過去に顔を隠しながら、正義を行う例があった。
こちらは、自分がどんな善意の人でも、むしろ善意の人だからこそそれを隠す気持ちなので、顔がバレて騒がれることを良しとしない。
日本人の、奥床しさにつながる覆面だ。
鼠小僧次郎吉もまた、そんな一種かも知れない。
善行を施しても、名乗らず正体を隠す。
・名声が目的ではなく、皆様が幸せであればうれしい
・それだけが、私の願いです
ある意味、日本人の理想の姿で、そう言えば年末になると、タイガーマスクを名乗って、子供たちにランドセルを贈る篤志家もいた。
覆面ライターは、誰かの名代でこっそりと執筆する人だ。
有名作家がそんな身代わりを使っていることがバレれば、詐欺の疑いがかけられ、名声が一気に剥がされる。
しかしそれもまた、覆面ライターの実力がなければ成り立たない。
日本では、覆面は決して悪いイメージではない。
しかし、敢えて覆面のイメージを壊すようなことを言うが、覆面は仮想空間でしか通用しない小道具だ。
一度でも経験したことがあれば分かるはずだが、覆面を着用した途端、一気に活動しにくくなるのだ。
・先ず視野が狭くなる。
・耳を抑えれば、聞き取りにくい
・バランス感覚が悪くなる。
・息苦しい。
・通気性が悪いので、汗をかくと気持ちが悪い
最近は、半強制的にマスク着用を義務付けられるが、医者は、運動をする時はマスクを外すことを勧める。
口だけを覆うマスクでさえ悪影響が出るのだから、体を動かす時に顔中を覆う、覆面など論外なのだ。
戦う時も仕事をする時も、覆面は百害あって一利なし。
だから覆面着用で仕事や戦いに臨むなんて、絶対にありえないのだ。
忍者映画を見ると、顔の目を出すだけの黒装束に身を包み、屋敷に忍び込んだり、敵と戦うシーンがある。
各地の忍者村アトラクションも、大方似たようなファッションで、手裏剣を投げたり、寸劇を演じている。
しかしあれでは、手裏剣の命中率は下がるし、そもそもの格好が、自分が怪しいヤツと白状しているようで、もしも敵に見つかったら言い訳のしようがない。
忍者が、あんな身元がバレバレの格好で任務にあたることはない。
僕は子供の頃は、覆面レスラーって恐ろしいと信じていた。
ザ・デストロイヤーは、日常生活でもあの覆面を外すことはなく、入国審査も覆面のままで許されると思い込んでいた。
しかし現実は、本名リチャード・ジョン・ベイヤ―で、2017年には日米親善への功績で、旭日双光章を受勲した大の親日家だった。
覆面は、実に想像力を掻き立てる。