昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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一病息災

普通は、無病息災こそが理想と思われている。

だが生涯を通じて、無病で過ごすことができる人はほとんどいない。

体に年季が入ると、あちこちと故障が発生する。

 

斯く言う当方も、全くその一人。

「バカは病気しない」と揶揄されるほど健康だったし、そんな自分は当たり前の存在と疑問にすら思わなかった。

ところがやはり、体力は正直だ。

古希を向ける頃になると、どうも心臓の働きに衰えを感じ始めた。

長い階段を上がると、息が切れるようになったからだ。

 

と言うことで病院でチェックした結果、心筋梗塞の疑いがあり、医者とあれやこれやのやり取りの後、手術することになった。

手術自体は「案ずるより産むがやすし」だったし、一年後の検査入院でも異常なし。

以降一年以上が経過したが、すこぶる健康な生活を送っている。

 

但し、そんな状態を維持するためには、定期的な検診が必要だ。

毎日飲まなければならない薬の、処方箋を書いてもらうためだ。

当初は、一か月ごとの通院がノルマだった。

その後も、体調が極めて安定しているし、再手術の可能性もほとんどない。

医者から見ても「まるでカネにならない患者」になってしまった。

 

医者も、こんな利益率の低い患者を診断しても、面倒臭いのだろう。

次の検診は二か月先とか、二か月半も間隔があくようになってきた。

当方も、陰気臭い病院など大嫌いなので、検診は少なければ少ないほどありがたい。

双方にウィンウィンなので、二ヶ月に一度程度の検診となった。

 

ただ検診の日は、寒い冬の朝でも、早起きしなければならない。

更に、朝食はとれない。

最近の病院では、入り口で指先の消毒と体温測定、院内のマスク着用が義務付けられている。

採血のチクリとした痛みは我慢するが、爺さん婆さんばかりの待合室で一時間以上も待たされるのが不愉快だ。

待合室で、マスク着用で読書していると、眼鏡が曇ってくる。

レントゲン撮影と、半年に一度の心電図検査が終わると、やっと担当のお医者様の問診になる。

これがまた、採血以上の待ち時間が必要だが、問診そのものは5分もかからないでお終い。

 

ただこの後の、料金精算までに一時間、更に薬局で処方箋の薬を入手するのにまたも一時間。

腹が減った状態で午前中全部をかけて、やっとその日の検診が終了する。

毎回そんなことを、繰り返さなければならなくなった。

 

ただ、面倒臭くて嫌なことだらけの健診だが、これを定期的にやっていると、大半の病気が事前にチェック、発見できる。

特に最近の血液検査は、あらゆるガンの早期発見が可能らしい。

当方は、両親、兄弟がガン患者だったので、恐らくは自分の死因もガンだろうと想定してきた。

そこでガン保険は、限度枠いっぱいまで加入している。

保険会社が新ガン保険の紹介カタログを送ってきたので申し込んだが、「これ以上はダメ」と拒否されたほどだ。

ガンに関しては、早期発見早期治療が一番の治療方法と言われる。

ならば、年に数回も血液検査をする検診は、実にいいことだ。

 

無病息災よりも一病息災。

病気持ちで、用心して暮らす方が、長生きすることだってある。

見方と考え方次第だけど、病気になったのは悪いことだけではない。