昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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学問と実践

新年あけましておめでとうございます。

今年度もご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。

 

新年の第一弾は、恥ずかしい過去の懺悔から。

 

親父は、全く学歴がなかったが、独学で法律を学び、定年後に当時でも難関だった司法書士の試験に合格した。

息子にも、自分の跡を継いでほしかったようだ。

ただ自分では、法学なんて全く興味がなかった。

 

「どれだけ判例を覚えるかで決まる法学なんて、学問じゃない」

「世の中の動きを予見する経済学こそ、自らが極めるべきモノ」

 

法学部の連中が聞けばアタマにくるだろうが、そう考えていた。

そんなわけで経済学部に進んだのだが、その後がいけない。

世間的には、一応は経済学を学んだことになっているが全く身につかず、経済のことを質問されると全く答えが分からない。

まるで勉強していないからだ。

 

大学に入ってすぐ、サヨク思想にかぶれた。

それなりにマルクス主義に熱中して、「世直しには革命が必要」などと信じた時期があるが、我ながら言っている内容が上滑りなのが分かった。

学生連中の革命ゴッコで、世の中が変わることはない。

やはり革命は、労働者が中心になるべきだ。

ちょうどあさま山荘連合赤軍事件などで、サヨク運動の信用が失墜したので、その後は卒業するまで麻雀三昧の生活を送った。

当時の就職戦線は、売り手市場だった。

こんな不良学生でも、いくつか内定先が決まり、その中で最も初任給の高い会社に就職した。

 

実際に働いてみて、マルクスが唱えて共産主義が、いかに空理空論だったかを改めて痛感することになる。

革命の中核部隊と思われていた労働者は、共産主義などには全く興味を持っていない。

労働組合は存在するが、組合員の関心は、会社と協力して業績を上げることで給料アップを実現することだ。

公務員の組合とは違い、一般企業では会社は労働者の敵ではなく、運命共同体なのだ。

 

しかも世界的レベルで、共産主義は破綻していく。

その昔、マルクス経済学の中心人物だった向坂逸郎は、自著「マルクス伝」の序文で、

 ・共産主義国家はロシア革命まで存在しなかった

 ・それが今や、世界の三分の一が共産国歌となった

 ・これこそマルクス主義の正しさを表す具体的な証拠

と書いていた。

現在それをそのまま使えば、

 ・その後、共産国家は次々と消滅した

 ・今では世界のどこにも共産国家は存在しない

 ・これこそマルクス主義が誤った思想だった証拠だ

となる。

マルクス経済学など、そんなバカな学問だから、現実の社会活動に役立つことはない。

わざわざ学ぶまでもない学問であり、早晩消えてなくなるものだ。

 

経済学を学んでも、世の中の仕組みも先行きも分からないのなら、むしろ実践的な経営の在り方や、経営そのものを学ぶ方が良い。

今の大学の経済学部は、経営学を受講する学生が主流だ。

僕も、実際に経済のことは何一つ答えられないが、40年以上も会社生活をしたので、経験に基づく実戦的なアドバイスなら、人並みに知っている。

まじめに仕事に取り組んだ分、それなりに説得力のある理屈を身に着けたからだ。

 

理科系の学部では、学校での実験やセミでの学習が必須だし重要だ。

しかし文系に関しては、学生時代の授業で学ぶ勉強を怠っていても、実体験で充分に追いつくことができる。

自分の、自慢にもならない経験は、そんなことを実証している。