義兄がLINEで、友人からのクリスマスカードを転送してきた。
そこには「自分の生まれた西暦年に年齢を加えると2020になる。次に同じことが起きるのは千年後」と書いてある。
義兄は、同じく昨年末に発生した、400年ぶりの土星と木星の異常接近とダブったようで、若干興奮気味だ。
しかしこれは、実にバカみたいな話だった。
考えるまでもなく、生まれた西暦に年齢を加えれば、今の西暦、即ち昨年なら2020になるのは当たり前。
次の「同じことは千年後」も、ありえない単なる勘違い。
騒ぐ価値などゼロの話を、大騒ぎしただけだ。
妹からそのことを指摘され、改めて気づいた義兄は照れ臭かったらしく「I think so.」と返信してきた。
実はこの目晦ましのような話は、ネット界では結構取り上げられ、話題になっていたようだ。
Twitterで、ドヤ顔の小泉進次郎の写真付きで「バカがこんなことを喋った」と紹介されていた。
但しこのネタは、全くのガセ。
シンジロー君バージョンでもう一つ、「もうすぐお正月になると思います」のテロップ入りの、同じ写真が紹介されていた。
勿論、こちらもガセ。
一時期流行った「シンジロー君なら、こんなことを言いそう」大喜利の一種だ。
シンジロー君は、こんなネタでいじられやすいキャラだ。
こんな現象を、政治家・小泉進次郎の人気の高さと見るのか、はたまたシンジロー君の無内容ぶりを小バカにしたものと見るのか。
少なくともネット社会には、後者しか存在していない。
それほどシンジローは、中身のない、アホ政治家と看做されている。
それでも次の総理大臣候補アンケート調査では、シンジロー君は常に上位で登場するし、場合によってはトップにもなる。
但し、先の自民党総裁選で惨敗した石破茂がナンバーワンになったこともあるから、この調査がいかにインチキかが分かる。
シンジロー君人気は、マスコミが勝手に作り上げた虚像でしかない。
その証拠にシンジロー君は、安倍政権下で初めて環境大臣に就任したが、大臣としてやること成すこと喋ること、頓珍漢ばかり。
人妻との不倫騒ぎや、その高級ホテル宿泊費を政治資金で払ったとか、セクシー発言などは愛嬌の部類。
具体策のレジ袋有料化でミソをつけ、2030年に再生エネルギー比率を、今の倍の40%にするなどと妄言を吐いている。
アタマが悪いが口は立つ、典型的な高校生徒会レベルの二世議員だ。
しかしこのシンジロー議員も、真っ青な醜悪議員がは多い。
すでに引退した政治家まで入れると多すぎるので、現役議員だけに限定しても、菅直人と小沢一郎は最悪の二人だ。
その無能さは、初代の鳩山由紀夫に匹敵するが、菅直人の場合、人品骨柄の劣悪さで鳩山を大きく上回る。
その陰険さ、腹黒さは、憲政史上最悪ではないだろうか。
学生運動の活動家時代から、デモでは絶対に逮捕されない「四列目のオトコ」として有名だし、仲間の民主党さえ不信任決議案を出しそうになるほど出鱈目だった。
しかも、アホの鳩山を騙して不信任決議を回避し、そのまま開き直って、しばらく政権の座に座り続けた。
総理大臣としての最後っ屁が、政商、孫正義と組んだ再生エネルギー法案せ成立さえ、日本中に太陽光発電公害をばらまくことだった。
小沢一郎もヒドイ。
このオトコは、元田中派のプリンスで、黙っていても総理大臣になれると目されていた。
金丸信からも可愛がられ「イチローのための裏金」として、北朝鮮から貰った金塊を隠し持っていたことも有名だ。
しかし竹下派の跡目相続争いで、野中広務、梶山静六に敗れ、集団で自民党を飛び出した。
この二人の政治センスが、良く表れている。
小沢はその後、細川護熙の担いで政権交代に成功し、自民党を下野に追い込んだ。
その後も、あらゆる手段で政局を仕掛け、自自公連立や民主党の政権交代を成功させたころが絶頂期。
だが、基本的にわがまま放題なので、すぐに組織が分裂する。
民主党を追われ、あちこちとくっついては離れている内に、とうとう手下が3名しかいない、超弱小政党の党首となり果てた。
進退窮まった小沢は、「一兵卒として」国民民主党に参加し、更に立憲民主党との合流を画策し、今や最高顧問の立場に収まっている。
小沢の場合、やりたい放題の強引さが却って、非妥協的な政治姿勢と間違えられ、評価されてきた。
しかし実はこの政党破綻と政党転がしビジネスが、政治資金の私物化やマネーロンダリングに利用された疑いをもたれている。
改革派などとは全く違う、典型的な昔気質のカネに汚い政治家でしかなく、将に金権体質の権化に過ぎない。
この二人に比べれば、シンジロー君はアホポンなだけで罪は小さい。
但しそれは、精々環境大臣で止まればの話で、もしもマスコミ主導でもっと上の地位に就くと、国益へのマイナスは計り知れなくなる。
是非ともアホ政治家までで停滞して欲しい。
そのためには、SNSで笑いものにされて、シンジロー君の底が割れてくることは僥倖とも思われる。