「君の考え方は合理的だ」と言われることを、一番の褒め言葉と考える知人がいる。
他人の行動を、口癖のように「それは無駄なこと」と切り捨てる。
「やること成すこと、遅すぎ」も、他人を批判する時の口癖だった。
場を和ますジョークにも笑わない。
勿論、自ら率先して雰囲気を盛り立てることなど何もやらない。
彼が同席する飲み会は、全く話題が盛り上がらない。
無駄口もなく、話題もなく、ただただ料理を食べながら酒を飲む。
コース料理が終われば、割り勘で支払いを済ませ、自然解散する。
何が楽しいのか分からないが、彼にとってはそんな会社生活こそ、無駄がない理想と思っているような感じだった。
僕はそんな彼とは真逆で、まるで無駄なことをたくさんやってきた。
勉強もせず、ひたすら遊びまわる学生生活だったので、学問は全く身についていない。
その分、雑学や麻雀、競馬には強い。
しかし社会人としては、そんな知識を利用する場面は少ない。
話題が好事家の間だけでしか通用しない分、同好の士と出会った時は予想以上に仲が良くなった。
会社員として必読の新聞は、日本経済新聞だ。
日経新聞は、経済ニュースが最も充実しているが、それだけでなく、少ないページながら社会面もスポーツ面もある。
無駄を避けるためなら、この新聞を読むだけでビジネスには役立つ。
しかし僕は、敢えて喋るネタを増やすために、東京スポーツや夕刊フジも読むことが多かった。
こちらでは、真偽不明ながらも実に面白い話題が満載で、芸能ネタにも強くなることができた。
週刊誌からの情報も貴重だ。
僕は変なコダワリがあり、週刊大衆やアサヒ芸能はよく読んだが、ヤクザ関係に強い週刊実話はほとんど手にしたことがない。
これらは、お堅い週刊誌には程遠いし、会社員諸君からは、週刊文春や週刊新潮ほどの信頼感はない。
だが、厳しい商談前のくすぐりには、持って来い情報がゲットできた。
読む本も、実戦的なノウハウブックには、興味がなかった。
当時脚光を浴びていたコトラーもドラッガーもまるで無縁だったので、会社の会議での気の利いたセリフなどロクに知らなかった。
逆に仕事に直接影響のない、推理小説や時代小説、稀に川上宗薫や宇能 鴻一郎の官能小説は乱読していた。
世の中には、少数だがこちらも愛読者がいるモノで、そんな奇特な人に出会うと妙に話が弾んだ。
お陰でかなり遠回りしてしまったが、それでも不思議にも、何とか堅気な人生を送ることができた。
僕が熱中したモノの大半は、無駄と言えば無駄だ。
だけど同じことを「遊び」と言うと、がぜん意味が深くなる。
ゆとりや余裕につながる「遊び」は、車のハンドルが典型だが、ユルユルの余裕があるから、動きがスムーズになり事故を防ぐ。
精神的に「遊び」があると、当事者として視野が狭まっている時にも客観的な判断ができる。
無駄は決して、無駄で終わるものではない。
とは言うものの、無駄道ばかりの生き方も、周囲からは顰蹙を買う。
僕の場合は、ややこの傾向が強かった。
だから、知人のように無駄を嫌うのも感心しないが、僕のように無駄にのめり込むことも褒められない。
両方の、バランスの取れた生きざまが重要だった。
今頃気が付いても、遅すぎだったが。