中国を「支那」と言うと怒られる。
中国が嫌がるかららしい。
昔のヒット曲「支那の夜」は、今では「シナの夜」。
オッカシイなぁ。
そもそも中国は、英語ではCHINAで、これは許されている。
「チャイナ」と発音されるから「支那」ではないと言い訳するかもしれないが、ドイツ語、スペイン語のスペルは英語と同じで、発音は「チーナ」に近い。
イタリア語もフランス語も、似たり寄ったり。
中国を「支那(シナ)」と言うのが、国際常識だ。
なのになぜ、日本が「支那」と言うと、中国から文句を言われないといけないのか。
因みにカタカナの「シナ」については、中国は問題にしないようだ。
「東シナ海」は使用可能で、地図にも乗るほど許されている。
中国人は、日本語の支那(シナ)に差別的ニュアンスを感じるらしいが、これは日本人にすれば言いがかりだ。
小耳に挟んだ話で真偽のほどは知らないが、漢字表現の支那(シナ)には「小さい」イメージがあるらしい。
確かに日本語の支部、支店、支流を、本体から切り離された亜流との見方もありうるが、だからと言って差別用語など誰も思わない。
それよりも、アメリカ人にチャイナ、ドイツ人にチーナと言われても何ともないのに、日本人が支那(シナ)と言うと文句を言う。
これは典型的なダブルスタンダードで、今やGNP世界第二位の国際的大国、支那(シナ)人の振舞いではない。
日本では、中華人民共和国が中国を名乗るはるか前から、中国は中国地方を指す言葉として使用されてきた。
だから中国の本家本元は。日本の中国地方だ。
中国が漢字の支那が嫌がるなら、カタカナのシナは問題ないはずだ。
それなら他の外国と同様に、今後は日本も中国を「中国ではなく、シナと呼ぼう」運動を提唱したい。
使用禁止用語ではないが、今後その有力候補になっりそうなのが、一家の主婦を表す「嫁」や「家内」だろう。
主婦の「婦」も、女性が箒で家の掃除をしているイメージだ。
如何にも女性は家にいるモノと決めつけたような漢字なので、女性解放主義者から文句が出ても不思議ではない。
確かに昨今は、女性の社会進出が盛んだ。
そしてその動きをサポートするための法律も整備されている。
今、「女性は家で」などと言うと、大バッシングを浴びる。
それでも僕は、オトコは外で働き、オンナが銃後の守りをするのがベストの組み合わせと確信している。
体の機能的にオトコとオンナは、分業で家庭を営むようにできている。
超アスリート系の女性もいるが、それでも同じアスリート系が競えば、女性は男性には勝てない。
しかも子供を産むことができるのは女性だけだし、母乳が出るのも女性だけだ。
オンナが家で仕事をするのは、極めて理に適っている。
僕が仕事の現役時代に、男女雇用機会均等法が制定された。
職場ではオトコもオンナも区別がないと決めたものだが、実際にこの法律の恩恵に浴する女性は、総合職の一部高だった。
むしろ、女性にとって数色のチャンスが減ってしまう結果ともなった。
僕には、嫁も家内も大好きな言葉だ
そして「給料はオレの稼ぎ」みたいな、増長した思いはない。
給料は、僕が会社に出勤し、妻が家庭を切り盛りした分業の結果の稼ぎと思ってきた。
だから給料は、いったん家の通帳に振り込まれ、その全てを妻が管理している。
僕の小遣いは、給料の中から決まった一定額を、妻からあてがわれる形となっていた。
結婚して以来、ずっとそんなやり方だったので、別段不満はなかった。
ただ、無駄遣いして小遣いが不足した時、妻に特別手当を貰うわないといけないのが切なかったが、それもまた顧客との価格交渉の予行演習と思えば、充分に人生の許容範囲内だった。