学生時代に場末の映画館で観た「男はつらいよ」に腹を抱えて大笑いして以来、フーテンの寅さんの大ファンだった。
一時期は映画シナリオまで買い込み、寅さんの口上を覚えた。
しかし当初は、主演の渥美清の動きが機敏で、キップの良い啖呵が楽しみだったが、回を重ねるに従いストーリーがマンネリ化した。
同時に肉体の衰えから、渥美清の動きもドンドン緩慢になってきた。
また監督の山田洋二が隠れ共産党員と判明したころから、シリーズの中盤以降は、全く興味を失った。
ただ寅さんの名セリフは、いくつか覚えている。
中でも「思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はタダ後悔と反省の日々を過ごしています」は秀逸だった。
将に自分のことを、言い合わらしているからだ。
思い起こしても、僕の中学、高校、大学の頃の過去は最悪だった。
それでも当時は、親や家族の庇護があった。
少々道を踏み外しても、家族が温かくサポートしてくれたので、辛うじて堅気の人生に戻ることができた。
それにしても何故あんなにバカだったのか、アホの極みだったのか?
今でも当時を思い出すと、冷や汗が出るほどだ。
自分では気の利いたことをやったり言ったりした積りだったが、とにかくやることと為すこと話すこと、全てが浮ついていた。
周囲の人にすれば「世間知らずの青二才が分かったようなことを言っている」と、さぞや呆れ果てていただろう。
自分でも変わったと実感するのは、就職して以降だ。
家族の支援がなくなった後は、全てが自己責任になる。
しかも、仕事の場合は、自分勝手に事を進めるわけにはいかない。
結果は連帯責任で、自分のミスが全員の努力を台無しにすることもある。
勢い言動は慎重になるし、先輩や同僚に相談しながらことを進める。
それまでのように、言葉だけが踊る表面的だけの空想論を唱えると、却って信用がなくなってしまう。
最悪の場合は、社会人失格の烙印さえ押され、爪弾きものになる。
しかも僕の場合、入社直後にそれまでの無軌道生活が会社にバレ、実質的な島流し状況で会社生活がスタートした。
身から出た錆とは言え、会社員として一番重要な仕事仲間が少なかったことはハンディとなった。
しかしそれでも、たまたま巡り合った顧客や先輩たちに恵まれた。
僕は人に惚れっぽいが、それでも「この人に出会えただけで、この会社に就職した甲斐があった」と思わせる顧客や先輩はおいそれとはいない。
僕の場合は、そんな人たちが職場職場にいた。
そんな人たちとの仕事上の打ち合わせや日常会話で、印象に残ったものを書き連ねたら、A4用紙ビッシリと30ページにも及んだ。
リタイアする時、遺言として後輩に送ったら、たいそう喜ばれた。
嫁とは、同郷で同じ中学、高校の先輩、後輩だ。
悪名高かった分、当然ながら僕のだらしない部分をよく知っている。
二人が偶然に再開したのは、僕が就職して二年ほど経った時だ。
彼女にも、昔とは僕とはずいぶんと違って見え、それまでの先入観とのギャップに驚いたと話していた。
仕事では、苦労が多かった。
特に僕の場合は同期の中でも、回り道をしながらの会社生活なので、余計な苦労まで背負い込んだ。
しかしそんな苦労が、むしろその後の人格形成にはプラスになった。
艱難汝を玉にする!
若いうちの苦労は、買ってでもしろと言われる。
僕は、何も好き好んで苦労をする必要はないと思う。
しかし不幸にして苦労をしても、そこから学ぶものがある。
自分の経験則でも、実に多くのことを苦労から学んだ。