了解も得ず、事件の加害者宅を訪問し、その様子をYouTubeにアップしていたオトコが逮捕された。
本人は「社会正義」を謡っているが、実際は過激な投稿で訪問者数を増やすことが目的の、所謂迷惑系YouTuberだ。
FacebookやTwitterで、無責任且つ過激な投稿を繰り返す輩と同様の、SNS時代の鬼っ子の一種に過ぎない。
そのYouTuberは、池袋暴走車事件を引き起こした、飯塚幸三被告宅も直撃していたらしい。
何一つ咎のない妻子が殺された被害者の無念さは、察して余りある。
被害者のご主人は、事故の真実を明らかにしたいと訴え、この事件は自動車運転処罰法違反罪、過失運転致死罪として現在裁判中だ。
この事件の特長は
・加害者は87歳(当時)の老人
・加害者は元官僚の「上級国民」
・加害者は事件後の取り調べでも逮捕、拘留されず
・裁判では、車の故障の所為に責任転嫁
と、罪を認めない飯塚被告の公判姿勢に強い批判が巻き起こり、社会的関心も高い。
総じてその風潮は、被告の責任逃れ供述への強い憤りに溢れ「飯塚被告は絶対に許せない」気運が強まっている。
著名な論客もTwitterで、
・飯塚被告は卑怯千万
・上級国民だから刑が軽くなるのは許せない
・罪を認めない被告には、死刑か無期懲役が妥当
・二度と娑婆に戻してはいけない
と、感情丸出しで飯塚被告を非難していた。
この事件直後に、被害者家族が「被告に極刑を」と署名活動をした時も、多数の賛同者が出ていた。
国民的総意は、被告が極刑、即ち死刑にならない限り、収まりがつかない雰囲気だ。
それほど飯塚幸三被告は、世間の嫌われ者なのだ。
僕は、この被害者、加害者の両方ともに、全く縁も所縁もない。
それでも、ある日突然交通事故、しかもそれがどう見ても運転過失で殺されたら、運転手を許さないに違いない。
だから被害者家族が、加害者に極刑を求める気持ちは理解できる。
増してや被告が自分の罪も認めず、愚にもつかぬ言い訳をグダグダ並べたら、裁判中の被告席に飛び掛かりたい気持ちに駆られるだろう。
しかしそれでも、89歳の爺イを相手に、今更極刑の適用を求めるのかとなると首を傾げる。
被害者家族としては、加害者が同様の仕打ちを受けたら、一時的には気が晴れるのかもしれない。
しかし、では加害者を同じ羽目に追い込んだら無念さが一掃され、次のステージに進めるモノなのだろうか。
そのためには、89歳(罪が確定し執行される時には、もっと高齢になっている)被告の極刑が必要なのか。
当事者ではないので無責任なことは言えないし、被害者家族に差し出がましい発言も控えなければならない。
だが、不幸にして自分がその立場になったら、加害者とは誠意ある慰謝料で納得するしかないかなと思う。
自分では、無理してでも、そう納得させる努力をするだろう。
被害者家族の、事件への悲憤慷慨は分かる。
しかし一般人が、飯塚幸三被告を強く非難するのは一体なぜだろう。
これは推測に過ぎないが、飯塚被告が「上級国民」だったことが主な原因ではないだろうか。
実は「上級国民」なんてモノは、存在しない。
しかし飯塚幸三被告が旧通産省工業技術院のキャリア官僚だったことで「上級国民」と言われた。
そのために事故を引き起こしたのに、特別待遇を受けていると疑われ、大バッシングとなったのではないだろうか。
また当初は耄碌していると思われていたのに、裁判になって突然、責任転嫁した姿勢も、強い反発を招いた。
しかし「飯塚被告は許せない」との庶民感情は分かるが、裁判で自分が有利になる証言をすることは被告の権利だ。
いくらそれが荒唐無稽な論理だろうと、被告が助かりたい、少なくとも刑を軽くしたいと足搔くことはやむを得ない。
それを、被害者家族が腹立たしく思うのは当たり前だが、第三者の我々は、冷静に裁判の進捗を見守るべきだと思う。