昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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トップの責任

最近問題となっている愛知県知事不正リコール事件だが、もはや収拾不可能なレベルで泥沼化している。

高須克弥代表は「全ての責任は総大将の自分にある」と繰り返す。

一見潔く「さすが高須院長は国士だ」との評価もなくもないが、やはり「失望した」意見の方が多い。

一部には「高須はウソツキ」との罵倒まで出ている。

「僕は不正が一番嫌いなんです」と力説する高須にとって、この事件をどう乗り切るかは、自身の晩節の評価に直結する。

 

この高須の言う「トップの責任」とは、いったい何を意味するのだろうか?

 

僕の現役時代に、重大事件に遭遇したことがある。

後に日本中で大騒ぎになった案件だが、我が社も長らく同様の問題を抱えていたことが判明した。

僕がその事業を担当した時に、ふとした偶然から発見したからだ。

侃々諤々、喧々囂々の議論と苦労を経て何とか解決したが、その後もマイナートラブルが頻発し、完全決着までには三年間もかかった。

その時に相談に乗ってくれた、責任者だった大先輩の振舞いに心から感銘し、リタイア後も親しく教えを乞うている。

 

 

問題点が分かった時点ですぐに、関与している関係者全員を集め善後策を打ち合わせたが、彼ら全員が「これは必要悪」と主張した。

僕は「必要悪を冒してまでビジネスをする必要はない」と反論した。

しかし連中は新参者の僕には「だから素人は困る」みたいな感じしかなく、大激論になったが、どう考えても僕の方が筋論だ。

最終的には「仕事に影響が出たら責任を取ってくれ」と捨て台詞はあったが、兎にも角にも組織的には必要悪是正が決まった。

 

そこでこの件を、最高責任者の大先輩に報告したのだが、この日の彼は、それを黙って聞くだけで終わった。

翌早朝、出社してきた先輩から部屋に呼ばれた。

そこで彼は「昨日の件を一晩考えたが」と切り出した。

彼は「報告を受け実態を知った以上は、責任者としては黙視できないから公表する」と言う。

 

事態が明らかにすれば、我が社の信用も失墜するが、同時に何も知らない取引先も大騒ぎになる。

そのための準備は、全く整っていない。

僕は先輩に「僕が責任を持って取り組み、必ず六か月で片づけるので、何とかそれまで時間をくれ」と懇願した。

その言葉を聞いた彼は、またもしばらく無言で考え込んだ。

そして「君の言う責任とは、一体何のことだ」と質問してきた。

僕は「もちろん職は辞すし、いかなる処分も受ける」と答えた。

 

ここでまた、二人の間には無言の時間が過ぎた。

虚空を睨むように考え込んでいた彼だったが、やがて「分かった、君に全部任せよう」と決断し、僕の提案に同意してくれた。

僕はすっかりうれしくなり「ありがとうございます」と席に戻ろうとした次の瞬間の、彼の台詞が忘れられない。

「もしも君がそんな立場に追い込まれたら、僕も一緒に辞める」

「だから心配は無用だ」

「君だけを辞めさせるようなことはしない」

「僕も一緒に職を辞すことしか、僕は責任の取りようがない」

「僕は、君たちが日頃どのような仕事をしているかなど知らない」

「しかし一旦ことがあれば、全ての責任を取るために僕はいる」

「責任者の仕事なんか、決断することと責任を取ることしかない」

 

今回の高須代表は。「全責任は自分に」と言う。

確かに、民主主義の破壊行為とも言われる、前代未聞の犯罪だ。

そもそもは、大村秀章知事が認可した「あいちトリエンナーレ」に公金を投入してことの是非を問うたリコール運動だった。

しかしその問題提起は、この事件ですっかり雲散霧消してしまった。

むしろ世間に、トリエンナーレ反対派は不正集団とのイメージを与えてしまった。

世間に与えた悪影響は大きいし、これでは炎天下の8月に、無給でリコール運動に立ち上がったボランティアは救われない。

 

だから、リコールの会代表で運動の中心人物だった高須には、国民への説明責任があるだけではない。

リコール運動途中で、不正署名の存在を告発したボランティアを「裏切者」「スパイ」「泥棒」とまで罵ったことの謝罪も必要だ。

「僕は何も知らない」と力説する高須を見ていると、実際には何も知らされず、ひたすら事務局報告を鵜呑みにしていた可能性もある。

 

事件の全容が判明しても、全身癌患者の高須は取り調べには耐えられないので、逮捕はされないだろう。

しかし仮にそうなっても、高須を信じ、高須の訴えに呼応した、無垢で純真なボランティアには、最大の敬意を表するべきだ。

それこそリコールの会代表としての、一番の責任の取り方だと思う。