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憲法改正の進め方

虎ノ門ニュースに、第五代統合幕僚長だった河野克俊が登場した。

軍事専門家で、保守派の中でも一目以上置かれている重鎮だ。

特に中国の海外進出が大問題化している現在、河野の知識や意見は傾聴に値する。

今回も「目から鱗」情報が満載だった。

 

ただ一点、「自衛隊を認めようとの意見があるが、日本は自分の国土は自分で守る意識改革と法整備が必要」との意見には首を傾げる。

もちろん、その意見は正論だと思う。

しかしそれには憲法改正がマストなのだが、今のままでは河野の言う意識改革も法整備も進まないのが実態だ。

 

史上最長、七年八か月の長期政権だった安倍晋三内閣でも、憲法改正ができなかった。

それでも安倍政権は、それまでの自民党政権とは違って、一応は憲法改正を目指した。

それが、憲法九条第三項に「自衛隊の存在を明記」することだ。

 

長らく日陰の身だった自衛隊だが、災害の度に危険を顧みず献身的に救助に向かうプロフェッショルな仕事ぶりに対して、国民の理解と感謝の念が強くなっている。

昔の自衛隊は、特にサヨク勢力から「税金泥棒」とか「戦争をするための組織」などと罵倒されていた。

自衛隊員の子供が、学校で虐められるとさえ言われた。

しかし雌伏70年、今では国民の安全な生活のためには、必要不可欠な組織と認識されている。

 

しかしそんな自衛隊だが、現状は無理な憲法解釈に拠っている。

そんな状況下でいきなり憲法改正を真正面から声高に訴えるのは、如何に長期政権の安倍首相にしてもハードルが高い。

だから安倍晋三は、国民的コンセンサスがまとまり易い自衛隊明記から憲法改正へ進もうと考えたものだ。

 

一方、政権の足を引っ張り続けた石破茂は、このやり方を強判した。

「そんな姑息な方法でなく、正々堂々と憲法九条二項の削除に進むべき」が石破の意見だった。

九条二項は、陸海空の戦力と、国の交戦権を放棄している。

日本の国防、自衛権を縛る、いわゆる「平和憲法」の中核部分だ。

 

九条二項は、憲法改正を目指す保守派にとっては目の上のたん瘤だが、サヨクには絶対不可侵の聖域だ。

それを削除すると、意見が激しく対立し大問題になることが必至だ。

石破は、あたかも自衛隊明記論は日和見主義のような言い方をする。

そして何と石破と河野は、期せずして同じ意見を吐いている。

 

現実的路線か、あくまで大義を崩さないかは、両方とも論理的には正しく、政治の方針としてはありうる。

しかし実際の政治では、どちらかを選ばなければならない。

その判断力、決断が政治の要諦だ。

 

実は、北方領土問題も同じだ。

長らくこの問題に取り組んできた鈴木宗男は、二島先行返還路線だったが、これは自民党ソ連(当時)との間の秘密交渉で既に合意済みだったことが分かっている。

しかし、外相に就任した田中真紀子は、四島一括返還に拘った。

二島だけが先に戻ってくると、残りの二島を取り返すことが、実際上は出来なくなるとの主張だ。

「取り敢えず可能性のあるところから」の鈴木案と、「あくまで原則通り」を主張する田中案。

当時の小泉純一郎首相は、その他にも外務大臣として様々なトラブルを連発した田中を更迭することで、北方領土返還の方向性を示した。

 

僕は、石破は徹底的にダメ政治家と思っていたので、石破の憲法改正案など空理空論と確信している。

それだけに、自営地の元大幹部、河野克俊もまた、原理原則を主張したことが残念だ。

 

日本国民には、憲法を改正することへの本能的な恐れが残っている。

それを「お花畑で夢を見ている」と批判するのは簡単だが、そんな人たちの半分以上が賛同してくれないと、実際の憲法改正はできない。

ならば少々遠回りでも、先ずは自衛隊を名実ともに日本の軍隊と位置付けるところから手を付けるのは、決して悪いことではない。

 

日本周辺での中国の野心は、日々強くなっている。

そんな環境なのに、憲法が日本国土を守るための邪魔になっている。しかし、九条二項削除の是非をあれこれ詮索している余裕はない。

ならば先ずは、可能な法整備で国を守ることができる実績をつけることから、対中国への防衛対策を強化する。

その方が、憲法改正が具体的になると思うのだが。