2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生した。
10年前のその日、僕はたまたま自宅にいた。
翌日からの中国出張を控えて、午前中は病院で健康チェック、午後は休みを取っていたのだ。
テレビの国会中継は、当時首相の菅直人の外国人献金疑惑を追及している真っただ中で、嘘つきの極悪人、菅直人が進退窮まっていた。
そんな長閑だった午後、ゴゴォ~と言う地鳴りと共に、初めて経験する無茶苦茶な大揺れに襲われた。
一瞬我が家が倒壊することすら、頭に浮かんだほどだ。
揺れが落ち着いた後、我が家周辺をチェックすると、隣の大型住宅は地盤が液状化現象で大きな穴が開いていた。
我が家も家具が散乱したし、その夜は子供が帰宅できなかった。
その後も関東周辺では交通機関が混雑したために、週明けの出社が大変だったが、それでも一週間後には元の生活に戻ることができた。
約二か月後、新幹線ダイヤも回復したので、仙台の顧客を慰問した。
この会社は、いくつかの宮城県内の営業所が壊滅し、石巻事務所勤務の社員二人が、津波に巻き込まれ行方不明だった。
仙台市内は復興ラッシュで、トラックが行き交い、ホテルも満室。
約束の時間に少し余裕があったので、やっと手配したレンタカーで海岸に近い被災地、若林区荒浜地区を見に行った。
途中も、電柱が傾き道路は段差だらけだったが、現場に辿り着いた途端、思わず息をのみ声を失った。
何と、雑草一つ生えていない。
まさしく辺り一面廃墟なのだ。
単なる好奇心だけで被災地を身に行った積りはなかったが、それでも余りの被害の酷さに罪悪感を持ってしまった。
https://sadda-moon.hatenablog.com/entry/62260608
あれから10年が過ぎた。
今では、節目の時以外は、関東大震災を忘れている。
3月11日になると、マスコミが必ず特集を組む。
特に今年は震災10周年と言うことで、NHKもかなり力を入れて放送していた。
そんな番組を見ていて、いつも持つ違和感がある。
番組に登場する被害者やその家族が、必ず「あの被害を絶対に忘れない」とコメントするからだ。
あの時の映像が繰り返し流されると、どうしても当時の被害と、その時の感情を思い出す。
津波の映像は、まるで特撮映画を見るような気がしたが、三陸海外で起きているその時の現実だ。
その津波に巻き込まれて、未だに行方不明の人もたくさんいる。
家族にとっては、二度と思い出したくない光景のはずだ。
悲しい思い出は忘れた方が良い。
いやむしろ、早く忘れるべきだと考えている。
しかも幸いにして人間は、忘れる能力を持っているのだ。
僕の今迄の経験で一番悲しかったのは、肉親との別れだ。
特に母親が死んだ時は。これほど悲しいことがあるのかと、文字通り茫然自失な気持ちになった。
しかし母の火葬の時に、葬儀場の煙突から出ている煙を見た時に、悲しさが薄らいでいることに気が付いた。
確かにあんな悲しみを思い続ければ。その後の人生が辛くて仕方がなかっただろう。
人間は悲しみを忘れることができる。
その時、心からそう思った。
関東大震災の被害者も同じはずだ。
しかしテレビに出てくると、ステレオタイプに「絶対に忘れない」と力説する。
テレビの演出に沿っているのだろうが、悲しさを押し付けられるようで納得できない。
お涙頂戴の姿勢からは、大震災に備える教訓は得られない。