ミャンマーの軍事クーデターは、世界中から批判されている。
民主的に選ばれた政権を、軍事力で廃したのだから、民主主義を踏みにじる暴挙と映っているからだ。
しかしことミャンマーの政治状況は、日本や先進諸国の常識で推し量れるものではない。
単純な、善玉の民主主義勢力と悪玉の軍との対立構造ではなく、発展途上国にあり勝ちの、悪と悪の権力闘争の感が強いのだ。
そもそも、世界を敵に回すのが分かっていたはずなのに、何故軍部がクーデターを起こしたのか、その理由が分からない。
前回の選挙では、元々は与党NLDの苦戦が予想されていた。
それが予想外に、アウンサン・スー・チー率いる政党NLDが大勝し、軍寄りの野党が敗北したので、軍が危機感を持ったと言われる。
しかし実際には、いくらNLDの議席数が増えても、軍がミャンマーの実質的支配者との立場は揺るがない。
何故ならミャンマーの憲法改正には、議員の四分の三以上の賛成が必要だが、議席数の四分の一は軍人枠と決っているからだ、
要は、憲法改正のためには、改正派が四分の三の議席数を独占し、尚且つ軍人政治家が離反しなければならない。
与党NLDが少々選挙に勝とうが、憲法改正は未来永劫無理だし、軍支配が続くのがミャンマーの実態なのだ。
ならば何故、国際的に批判を浴びることが分かっていたのに、軍は軍事クーデターを決行したのか?
実は、前回のミャンマーの選挙には、与党NLDの不正疑惑がある。
そして軍がクーデターの大義名分として掲げているのが、このNLDの不正選挙を許さないとの正論なのだ。
我々の眼には、そんな取ってつけたような理屈は軍の詭弁で、やはりスー・チーとNLDの存在が邪魔なので排斥したとしか見えない。
ところがそのスー・チー自身が、政治姿勢や私生活もまた、充分に胡散臭い政治家なのだ。
科学者の武田邦彦は、虎ノ門ニュースで「スー・チーはイギリスのスパイ」と断じていた。
他にもスー・チーの、ミャンマー指導者としての今までの実績や、政治能力そのものを疑問視する声は多い
少なくともスー・チーは、マスコミが作り上げた、信念を持った清廉建白な政治家ではない。
アウンサン・スー・チーば、ビルマ建国の父、アウンサン将軍の娘だ。
ミャンマーきっての血統書付きエリートで才媛だが、長く続いた軍事政権下で何度も軟禁生活を強いられた。
そんな苦難に満ちた政治家人生が、アウンサン・スー・チーを、軍事独裁に抵抗する民主化運動のリーダーと思わせた。
だからミャンマーの軍政が終了し、スー・チーを首班とした政権が誕生した時、世界中がミャンマーの民主政治を称賛し、期待した。
ところがミャンマーの国内法で、スー・チーはイギリス人と結婚しているために、大統領にはなれない。
そこでNLDの最高指導者として国家顧問に就任、実質的に大統領を凌ぐ国のリーダーとなっている。
実際はスー・チーの独裁を認める超法規措置が取られるだけでも、ミャンマーの民主主義には後進性が漂う。
更に、スー・チー政権の治世も、評判が芳しくない。
全く他人の意見を聞かず、気に入らないNLD幹部を粛正するとの噂は、決して褒められることではないが、リーダーによくある欠点だ。
しかしスー・チー政権は、イスラム教徒のロヒンギャを弾圧していた軍を批判せず、同様の政策を続けた。
そのために、今度は世界の民主主義勢力を失望させ批判された。
一部では、スー・チーのノーベル平和賞剥奪要求にまで至っている。
今回の軍政府は、スー・チーとNLD政権の罪状として、汚職や横領を挙げ、金塊を隠し持っていたことを挙げている。
金丸信に代表されるように、金塊を不法所持することは、悪徳政治家の代名詞のようなものだ。
軍による印象操作の疑いはあるものの、もしも事実なら、スー・チーへの国際社会からぼ信頼は地に落ちる。
マスコミは、クーデターに抵抗する国民と、それを武力鎮圧する軍を対比して放送している。
それを見た世界中の人たちは、民主主義勢力を武力で抑え込む全体主義の軍を強く批判する。
しかし軍がクーデターを起こした原因は、NLDの不正を糺すためとの説も、あながち大嘘だと決めつけることが出来ない。
中国が軍を批判しないので、今回のクーデターの後ろ盾との見方もあるが、スー・チーはバリバリの中国派だったので、この説も怪しい。
中国もまた日本同様に、NLDにもミャンマー軍とも接点がある。
ミャンマーの両勢力とも、実に強かに国際社会を味方につけてきたために、あの中国ですらどちらかを旗幟鮮明に支持できない。
ミャンマーの現状は、一方が絶対正義で、もう片方は悪役と単純化できないほど複雑に入り乱れている。
最高指導者のスー・チーも与党NLDも、実は胡散臭い存在だ。