衛星放送のニュースを見ていて、思わず「どうした?韓国」と声が出た。
慰安婦20人が日本政府に賠償請求した裁判で、ソウル地裁が訴えを却下したのだ。
しかもその判決内容は、今までの日本政府の主張と瓜二つ。
いつも火病を発症し、すぐに発狂状態になる韓国を見てきたので、こんな冷静な判断をされると、逆に不安になってしまう。
同じ慰安婦裁判でも、1月の判決は韓国の本質がそのまま出ている内容だった。
日本政府に慰安婦への賠償だけでなく、裁判費用負担まで命じたのも、今回と同じソウル地裁だった。
裁判では「主権免除」が国際常識だから、絶対にありえない判決だ。
日本政府は完全無視を決め込み、控訴もしない。
その結果、国際法違反の判決が、韓国内で確定してしまった。
あの文在寅でさえ「正直言って戸惑っている」と言うような判決だ。
当然ながら日本が控訴するはずだから、このまま裁判を続けていれば日本に妥協を迫るチャンスがある。
そう考えていたはずの韓国政府も韓国司法も、すっかり当てが外れたに違いない。
しかしこのままあの判決が判例として残れば、韓国の国際的信用は壊滅する。
更に文在寅政権は、海外でも国内でも、外交も経済も完全に袋小路に嵌り、支持率が急降下してきた。
今迄文在寅政権に忖度しまくり、勝手な法解釈を繰り返してきた韓国司法も、事ここに及べば責任回避と失地回復を図るしかない。
そんな焦りが生み出したのが、今回のソウル地裁判決だろう。
その内容は、「韓国の世界遺産」に匹敵する慰安婦様の請求を却下しただけではない。
日本資産の差し押さえを認めず、日韓請求権協定も日韓慰安婦合意も、今も有効で韓国に遵守義務があるとまで踏み込んでいる。
あまりの路線変更なので、韓国民も呆気にとられているようだ。
いつもなら「親日判決を許さないぞ」と、大声で反対デモを仕出かすはずなのに、騒いだのは請求を却下され当てが外れた慰安婦のバサマ一人だけ。
全ての韓国マスコミは茫然自失で、不当判決への抗議すら発生しない。
コチトラだって、韓国で真面なことが起きるなど、想定外の枠の外のおハナシだ。
ところが日本のマスコミは、韓国に温かい。
僕の愛読紙・産経新聞すら、韓国の変遷変質を「会話再開のチャンス」ととらえ「文政権は正気に戻る時だ」と、今までの狂気じみた反日政策の変更を促している。
反日命の朝日新聞や毎日新聞など読む気もないが、恐らくは産経新聞以上に「今こそ日本が大人の対応を」と興奮しているはずだ。
しかし相手は、韓国と韓国国民だ。
反日でしか生きていけない民族の集合体だ。
過去に何度も、経済で行き詰まり、諸外国から見放されると、途端に日本にとすり寄り取り入ることを恥と思わない連中だ。
そんな輩が、今回の判決一つで、真人間になることはあり得ない。
現に福島原発の処理水海洋放出については、韓国では大反対運動が巻き起こり、頭を丸めて抗議する女子高生の集団まで現れている。
ソウル大使館、釜山領事館前には「海を守れ」とデモ隊が押しかける。
自国が原発排水を海洋放出している事実はまるで無視し、日本に当たり散らすことを自己矛盾とすら思わない。
菅義偉首相が靖国神社に真榊を奉納すると、直ちに「遺憾だ」とイチャモンをつける。
韓国の本質は、1ミリだに変わっていない。
苦しいから、八方塞がりだから、日本にすり寄っているだけだ。
今回の韓国の行状を見て、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。
ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。
はるか下には地獄があり、犍陀多という男が血の池でもがいているのが見える。
犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。
しかしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。
道ばたの小さな蜘蛛の命を思いやり、踏み殺さずに助けてやったのだ。
血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れてきた。
これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一所懸命に上へ上へと登った。
地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、登ることに疲れた犍陀多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。
しかし下を見ると、まっ暗な血の池から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって近づいてくる。
このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と大声で叫んだ。
すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。
この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち去った。
韓国司法が初めて、国際的に通用する判決を下したからと言って、韓国の本質が変わる訳はない。
その時に「また裏切られた」ろ、お釈迦様と同じ「悲しそうな顔」をしても、失った日本の国益は戻ってこない。
いくら韓国に哀れを請われても、日本の取るべき道は非韓三原則を徹底するしかない。
今から100年以上も前の1918年、天才作家・芥川忠之助は日韓関係の今日を予感していた。