国民民主党の玉木雄一郎党首、俗称タマキン君が「共産党が入る連立政権には参加しない」と発言した。
選挙協力も政策調整もしないと言う。
その言たるや、大いに良し!
今は衣の下の鎧を隠しているが、共産党は共産主義国家を目指す政党だ。
アメリカ・バイデン大統領の発言にもある通り、今後の世界は民主主義国家対専制主義国家の戦いになる。
共通の価値観なくして、連立とか連帯とかはあり得ない話だ。
今の国民民主党(以下「民民」)は、立憲民主党(以下「立民」)との合流時に、基本方針の違いを理由に民民に残った連中の政党だ。
それなのに、安全保障や原発に関する考え方がもっと違う共産党と、一緒にやっていけるはずはない。
この点では、とにかく選挙対策で大きな政党に群れ縋った立民への合流組よりも、民民に残った連中の方が遥かに理に適っている。
しかし敢えて重箱の隅をつつくような嫌みに聞こえるかもしれないが、「では立民との野党共闘ならいいのか?」と問いたい。
民民の「共産党は駄目だが立民は許容範囲」との考えには、立民とは基本理念は違うが、それは妥協の範囲内と見ているのだろう。
しかしそれなら、立民に合流すれば良かった話ではないのか。
基本理念が違うから違う政党に拘ったのに、選挙目当てなら野党統一候補に乗っかるなら、選挙対策で立民に合流した、志の低い立民議員と全く変わらない。
そもそも野党共闘に何の意味があるのか?
野党共闘の主張には、単独では与党に太刀打ちできないとの現状分析がある。
・野党がバラバラに戦えば、与党に利するだけだ。
・だから、小異を捨てて大同につく。
・少々の路線の違いは無視して、野党統一候補を押し立てる。
・選挙に勝ちさえすれば、後は何とでもなる。
と、大方そんな考えだろう。
しかしこれは、党員の高齢化が進み、平和革命路線に変更したものの、その結果が当初の思惑とは全く違ってしまった共産党が、党勢低迷打開の秘策として積極的に進めている政策だ。
実際にそんな野党統一候補が、与党候補に勝った例が何件か出ている。
それを以て、与党政治の不満層を掬い上げることができたと、野党が勢いづいている。
しかしその実態は、選挙運動の中核になる共産党の影響力が増すだけで、他の野党にとっては推薦した候補が当選した自己満足だけしか残らない。
しかも野党統一候補が選挙で勝ったからと言って、中央政局には何の変化も現れない。
実際には各選挙区で、共産党の存在感が増しただけで、シロアリに屋台骨まで、食い荒らされる結果になるだけだ。
当事者は「勝った、勝った」と大喜びしても、国民全体の期待感が膨らむこともない。
況や、政権交代など夢のまた夢。
むしろミエミエで選挙目当ての野合を重ねる野党に対して、二度と政権を渡してはいけないとのバランス感覚が働くのがオチだ。
2009年の政権交代では、政権に共産党がいなくても空中分解した。
更に共産党まで加わった野党共闘となると、収拾がつかなくなること必至だ。
そんな野党は、一体何をやりたいのだろう。
できることは、ひたすら「反対、反対」を叫び、与党の足を引っ張るだけしかない。
だから民民のタマキン君が、筋論に拘ったことには意味がある。
実は与党の方も、連立政権になっているために、思い通りの政策が実行できない。
その典型が、憲法改正だ。
公明党は与党で居続けることが「党是」みたいなものだから、憲法改正に正面切って反対はしない。
しかし連中の主張の「加憲」は、実質的には憲法改正に反対していることと同じだ。
むしろ与党側も、選挙目当ての連立政権を維持するのではなく、連立の組み直しで憲法改正への進むべき時期だ。
その結果、公明党が連立から離脱しても、それは仕方がない。
共通の価値観に近い、日本維新の会と国民民主党を取り込むことが国益に敵う。
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちたらタダの人」は、故大野番僕の名セリフだ。
議員が議員で居続けたいのは人情としては理解するが、政党は違って然るべきだ。
野合に血眼になって、統一候補に拘る体たらくを見ると、与党こそ体制一新のチャンスだと思うのだが、