今や、武漢肺炎なる言葉をほとんど聞かない。
コロナだのCOVID19だの、実態の分からない単語になっているが、元を質せば中国・武漢が発生源の流行病であることを忘れてはいけない。
我々夫婦はそんな世界的災厄の所為で、二年前の海外旅行だけでなく、昨年の東北花見旅行の中止に追い込まれた。
元々出不精な当方には大したことではないが、デベソな嫁にとってはストレス塗れの二年半だったようだ。
中国へ恨み骨髄の彼女が、三月末になって突然「今年は京都に花見に行く!」と言い出した。
当方は花見なら4月末に東北と思っていたが、嫁に言わせると
・日本人なら京の桜こそ必見
・今年は忌まわしき中国人観光客がいない
・中国人のいない京都を散策できるチャンスなど千載一遇
・幸いにいつもなら絶対に予約できないホテルが空いている
そうだ!京都に行こう、イヤ行かねばならぬ!
と並々ならぬ決意で、4月5日から三泊四日でホテルを予約したらしい。
「アンタなんか、黙ってついて来れば良いノヨ」と、一切の反論を許さない調子で話がドンドン進んだ。
ところが我が関東周辺では、3月後半には桜満開となってしまった。
例年よりも一週間以上速いペースらしい。
関西地方は関東よりも、桜前線が早いはずだ。
折角鳴り物入りの京都の桜旅も、4月5日過ぎでは既に散り去っているのではないか?
そんな素朴な疑問に嫁は、「イヤァ京都は寒いから大丈夫」と強気な姿勢を崩さない。
結果として「牛に引かれて善光寺参り」みたいに、嫁に引かれて京都参りと相成った。
往きの新幹線は、乗車率40%弱。
車中でのマスク着用は煩わしいが、人が少ない分気分的には楽だ。
昼過ぎに京都着。
京都駅のうどん屋で昼食後、地下鉄でホテルに向かう。
そこでチェックイン担当のおネエさんが、満面の笑顔で「絶好のタイミングですヨ、桜は今が見ごろです」と言う。
ミエミエのリップサービスと思いきや、まさしく本当にこの二、三日が花盛りの満開状態らしい。
聞いた途端、嫁は破顔一笑、自慢げに当方を振り向いて、「ネッ!」。
実は当方と京都は因縁が深く、京都は母親の実家がある!
(と、我が家ではそうなっている)。
実のところは、終戦後に母の弟一家と祖母が京都に移り住んで商売を始めただけなのだが、それでもいつの間にか叔父さん夫婦も従弟も京都弁を喋っていた。
しかし母は一度も京都に住んだことがなく、当然ながら我が町の方言しか喋れない生粋の田舎っぺおばさんだった。
それでも「母の家族は京都に住んでいるんですよ」と言うと、人は勝手に京都出身と勘違いする。
すると元々穏やかに見える風体の上に、何となく上品なオトコの印象が漂う。
京都にはそんなえも言われぬ独特のムードがあり、心優しく穏やかな風情の当方に良く似合う街だ。
と勝手にそう思い込み、嫁や気の置けない友人には、以下のデマを吹聴してきた。
・母方は京都公家の末裔
・当方も京都の宇治育ちで、宇治貴族の血が流れている
・宇治平等院は庭のような場所
・幼少の砌は、清水寺の舞台から飛び降りて遊んでいた
・本来なら諸君たち下々のモノが直接口を利くのも憚れるほど高貴な生まれ
・皆のモノの言葉の壁や風習の違いに戸惑ったが、最近やっと慣れてきた
・我が家が檀家の寺は黄檗宗で、大本山は京都萬福寺(これはホント!)
・開祖の隠元禅師は、共に修業し彼の悟りを助けた学友だった
今回も地下鉄の五条駅を通過する時、嫁が「今日の五条の橋の上」と口ずさんだので、
・牛若丸と弁慶の決闘の最初は弁慶が優勢だったが、戦上手の牛若が逆転で勝った
・当時はテレビ中継がなかったのでライブで見ていた
とさらに大法螺をかませておいたが、果たしてどこまで信用されただろうか?
ついでに「京都に帰ってくると故郷の香りが蘇り、心が懐かしさからリラックスする」と、「帰ってくる」に力点を置いて自慢したが、京都には高校時代の修学旅行も含めて三回しか行ったことがない。
いつもならウンザリ顔で亭主の与太話を途中で打ち切る嫁だが、今回は京都まで来たことですっかり上機嫌だ。
嫁に連れられカメラを片手に、いよいよ醍醐の桜から三泊四日の京都花見旅が始まる。