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向井亜紀の代理母問題を批判する!

最高裁は、向井亜紀アメリカで代理母によって得た子供の出生届受理を棄却する判決を下した。
この問題について、法的に未整備である事も併せて指摘する異例の判決だった。

この問題に関しては、例によって賛否両論がある。
どちらの意見も、それぞれの人生観や哲学が根底にあり、いくら議論を積み重ねても絶対に中途半端な妥協案は存在しない。
僕は、彼女の行為には否定的であり、いわゆる最高裁による「保守的な決定」を支持する人間である。

様々な事情で子供を産めないのに、どうしても子供が欲しいと願う人は沢山いる。
今回の向井亜紀もその一人だろう。
彼女は、法的に代理母が認められているアメリネバダ州で、自らの卵子と夫の精子による代理出産の方法で子供を出産させ、自分の子供として申請した。
恐らく彼女の場合は、代理母との間に契約が存在し、金銭による報酬が支払われたであろう事は容易に想像できる。
しかし、代理母の場合、実際に出産した女性が、母性に目覚めてしまい自らの親権を主張した時にどう対処するかとか、出産によって女性の体に異変が発生した時の責任はどこにあるか等の難しい問題がある。
法律が未整備なのは当たり前で、こんな方法で子供を作るなんて一昔前までは考えられなかった。
考える事自体が、単に可愛いペットを手に入れるのとは全く違う、「医学の進歩」との美名の下で神の領域にまで手を伸ばす事であり、大自然の摂理や神への冒涜として批判されただろう。
江川紹子は「親子である事が最優先なので、親権を認めるべき」と主張していたが、未だに、母とは卵子の持ち主なのか、実際に出産した人なのかの結論は出ていないし、いつまで経っても結論が出る問題ではない。

子供を持ちたいとの思いは分からないでもないが、しかし、金持ちだけに方法があるのは不公平である。
「母とは?」更には、感情の世界の「母性とは?」と考えると、人類は医学が進歩した事で、絶対に解決できない問題を次々と背負い込んでいるような気がしてならない。

ついでに言えば、先だって柳沢厚生労働大臣が「女性は子供を産む機械」みたいな発言をして、日本中から大反発を食った事があった。
あの時、柳沢を口を極めて罵るように批判した人は、こぞって向井亜紀も強硬に批判しなければならない。
なぜなら、向井亜紀こそ、アメリカの女性をまさに「子供を産む機械」とみなし、代理母の役を依頼したのだから。