昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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喜多方ラーメンの惨状

夏休みを取り、一泊で遠刈田温泉に出かけた。
途中、昼食の為、わざわざ遠回りし、ラーメンで有名な喜多方市に立ち寄った。
喜多方市へは、これで三回目の訪問となる。

1998年、2001年の過去二回は、いずれも磐越自動車道路の会津若松インターで降りた後、一般道路が混みに混んで、到着までかなりの時間を要した記憶があった。
買ったばかりのトヨタプリウスのドライブは絶好調。
純正カーナビで目的地をセットし、目指したのは過去二度とも長蛇の列で食べられなかった有名店「大三元」。

今回は、インターを降りた後がすごくスムーズで、わずか30分足らずで、喜多方市についてしまった。
ところが、目的地に到着したものの「大三元」が見当たらない。
やっと探し当てた場所では、店名が関東地区のどこにでもある「昭和29年創業の味 幸楽苑」に代わっていた。

仕方なく、次の有名店、喜多方老麵会初代会長の店「まるや」に方向転換。
ここも、前回は大変な混雑だったが、今回は待ち時間ゼロ。
壁には、桝添要一や有名人の昔の色紙が並んでいるが、全部黄バンでいて、最近のものはない。
当方が注文したのは、喜多方スペシャル900円。
過去の二回では、「これはウマイ!!」と、喜多方ラーメンに感激したのだが、今回は、味はまずくはないが、遠大な時間をかけて食べに来るほどのものではないとの感想。
この程度の味だったら、首都圏でさほど苦労しなくても食べる事が出来る。

そう思って見ると、町全体にまったく活気が感じられない。
前回は、手にラーメン店マップを持った若者が至る所に跳梁跋扈していたが、今回はほとんど人影すらない。
首都圏のラーメンは競争が激しく、味向上の為、各々の店が日々切磋琢磨している。
喜多方市のラーメン店は、老麵会を作り、もたれあいの業界協調に走ってしまったようだ。

あれだけ人気を博していた店「大三元」が、ありふれたラーメンチェーン店に変わってしまう。
「ラーメンで町興し」の大成功例と言われていた喜多方市は、この五年間ですっかり凋落していた。