昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「自然に生きる」と、とても暮らしにくい

都心部でも、ここの所激しい夕立が頻発している。
東京都内のマンホールが突然増水、作業員が流される事故が発生した。
自然の猛威を実感する光景だった。

そもそも、太古の昔から自然は人間に極めて厳しい試練を与え続けてきた。
その為、人間はあらゆる知恵を使い自然を手名づけようと、必死の努力を重ねてきたのだが、その事が近年では自然破壊ととらえられ、はなはだ評判が悪い。
その一方、「自然に生きる」とか、「自然を大事にする」とかは素晴らしい行動と賞賛される。

しかし、本当にそんな単純な事だろうか?

地球温暖化の原因に、アスファルトで舗装された道路が上げられる。
雨がいくら降っても、アスファルトで固めた道路では保水能力はない。
その為せっかくの雨も、一気に下水に流れ込むだけとなる。
アスファルトは、その照り返しで温暖化を促進するだけでなく、水不足の原因にもなっているとの見方だ。

しかし、それでは昔の土の道になったらどうだろう。
確かに、アスファルトの照り返しもなくなり、土中にしっかり水を貯める機能も持つ。
しかし、雨が降ったら泥だらけ、長靴がないと歩けなくなってしまう。
また、水溜りはぼうふらが湧く原因にもなる。
我々はそんな不便さを嫌って、積極的に道路を舗装してきたはずだ。

自然は暮らし難い。
夏は暑いし、冬は寒い。
だから夏にはクーラー、冬には暖房機を発明してきたのだが、これが全て地球温暖化の原因になっている。
全く矛盾した中に我々は生きている。
常日頃は、腹一杯自然を壊す生活を繰り返しているにも拘らず、自然回帰を訴える事は自己矛盾でしかない。
採りうる対策はただ一点、便利な生活を捨て去る事だが、「自然を大事に」と主張する人達は果たしてそれだけの覚悟を持っているのだろうか。

不肖、私メ、そんな気迫も使命感も持っていない。
よって、夏はクーラー、冬はストーブ、移動は車にお世話になりっぱなしの、日々怠惰な生活を繰り返している。
ただ、自分のだらしなさを充分に自覚していているので、「自然に帰れ」などの偽善的な発言は絶対にしない。