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知事たちの八ッ場ダム中止反対騒動っておかしい

首都圏の知事連中が八ッ場ダムを視察、ダム工事継続の気勢を上げていた。
オリンピック招致ですっかりミソをつけた石原慎太郎東京都知事や、千葉県のオッチョコチョイ森田健作知事まで参加。
この二人が参加するだけで、すっかり価値が下がってしまう。
前原国交相が就任早々に八ッ場ダム建設中止を宣言した時、彼らは「現地も見ずに決断するのは怪しからん」と騒いでいたはずだが、では首都圏知事たちの何人が八ッ場ダム建設現場に足を運んでいたのだろうか?
知事たちと国交相の会談も行われ、知事たちは「中止ありきでは話し合いに応じられない」と主張、何とかダム継続の言質を取ろうとしている。
国交相も、「中止だけど再検証する」と、グラツキ始めた。
この辺は、いかにも理念先行で書生っぽい民主党らしい。

そもそも、ダムが何故必要なのかが一番の問題だ。
八ッ場ダムは、東京周辺地域の水瓶と水害防止の為には絶対に必要と主張している。
ところがこの八ッ場ダムは、決定から既に57年も経過しているが、未だにダム建設には至っていない。
我々が新聞やテレビでたびたび見ている建設現場の写真は、実はダム工事そのものではなく、ダムを作る為に工事中の道路の橋げたであり、ダム自体の完成はいつになるのか分かっていない。
知事たちが言うような、「八ッ場ダム建設が緊急且つ喫緊な課題である」とは到底考えられないような進捗状況なのだ。
むしろ、長年にわたり細々とダムを建設し続ける事で、公共工事の旨みに集ってきたとしか思えない。

地元住民は悲劇の主人公として扱われている。
自分達の故郷がダムの湖底に沈むのを喜ぶ人はいない。
大半の住民が、長い間に心の葛藤の中でやっとダム建設を認めたとか、ダムを巡って村が二分され人間関係にヒビが入ったとか、一番の被害者は地元民だとの意見が羅列される。
しかし、ダムは未だ建設途中であり、村は昔のままで残っている。
このままダム建設が中止になれば、元の村での生活だって不可能ではない。
過去に住み慣れた土地を奪われたのだから、感情的になるのは理解できるが、一方将来設計の選択肢が広がったとも考えられる。
そもそも、地元民にとってダム建設は全くメリットがない。
東京周辺の住民だけが、全てのメリットを享受できる。
しかしそのメリットですら掛け声だけで、50年を遥かに越える年月が経過している。
冷静に見れば、八ッ場ダムは完成する必要はなく、八ッ場ダム建設工事を続ける事だけが(一部の業者に)必要としか思えない。

石原をはじめとした首都圏の知事たちは、災害への予防から八ッ場ダム建設継続を主張するが、それならば今更のようにオットリガタナで建設中止に反対するのではなく、今までの50年間で建設促進を必死に訴えていなければ話の辻褄が合わない。