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小沢一郎の宗教感について

小沢一郎高野山金剛峯寺で、「キリスト教は排他的で独善的、イスラム教もキリスト教よりましだが似たようなもの。排他的な宗教を背景とした文明はいずれも行き詰っている。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」みたいな事を言って話題になった。

仏教関係者を前にゴマスリもあるだろうし、次回選挙への協力依頼とも見られている。
洋の東西を問わず宗教は強く政治に関与してきたので、政治家が票を求めて特定の宗教に肩入れするのは当たり前なのだろう。
日本にはイスラム教徒は大変少ないが、キリスト教徒はかなり多い。
それなのに小沢一郎キリスト教を批判したのは、彼の宗教感と同時に、選挙でも仏教が票につながるとの政治判断があるに違いない。

当方、宗教にはド素人に近いほどの見識しかないが、実はその宗教感は天下の大物小沢一郎に近い。

キリスト教イスラム教は、「独善的で排他的」かどうかは分からないが、唯一絶対神を信仰している為か、他の宗教、もしくは他の神様への許容度が小さい(様な気がする)。
キリスト教のイエスイスラム教のアラーだけが絶対に正しく、他の神様は存在が許されない(様な気がする)。

一方の仏教は、お釈迦様が柔和に微笑みながら寝ころんでいる仏像が多数存在するように、至って平和的な宗教(のように思える)。
日本人古来の宗教では、八百万の神を信じてきたので、彼方此方に適当な神様が存在し、「苦しい時の神頼み」みたいな、誠に手前勝手な信仰が幅を利かせてきた。
そしてその典型が当方で、自分の結婚式は神式だったが、両親の葬式は仏式、しかも母親は曹洞宗で父親は日蓮宗、もちろんクリスマスやバレンタインデイも楽しむなど、まるで一貫性がない。
だから敬虔に宗教を信じる人から見ると、実にいい加減な男でしかない事は充分自覚している積りだ。

しかし産経新聞の一面で、キリスト教徒作家曽野綾子小沢一郎を痛烈に皮肉った記事には違和感を持つ。
曽野綾子は、「小沢一郎キリスト教を全く理解できていず、勉強不足なのに批判するのはけしからん」と、キリストの素晴らしい教えを列挙しながら力説していた。
特に独善的・排他的と言われたのは我慢ならないようで、例の「右の頬を打たれたら」とか「汝の敵を愛せ」とか、キリスト教素人の当方でも知っている有名な言葉を多数引用、小沢一郎の勘違いを批判していた。

当方には、キリスト教曽野綾子の言うとおりの素晴らしい宗教なのか、小沢一郎的なものなのか、実際の所は分からない。
しかしイエス・キリストが「汝の敵を愛しなさい」と教えているのなら、曽野綾子小沢一郎を皮肉るのではなく、「素晴らしい教えをまるで理解できていない可哀そうな人」としてやさしく許容する宗教的な包容力が必要とされるはずだ。
どうも、宗教家曽野綾子は、一連の産経新聞に拠る民主党批判キャンペーンとして利用されているだけに過ぎないような気がした。

日本国憲法は、いかなる宗教をも信じる自由を保障している。
当方、個人的には信仰心はまるで薄いが、宗教を信じている人への非難はしない。