昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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年寄りの我儘

94歳の義母が、腰痛で入院した。
盆休みを利用して見舞いに行ったが、娘に会えた所為かあっと言う間に元気回復。
安心して帰宅した一週間後、義兄から嫁に電話があった。
「腰痛は治ったようだが、血圧が上がり、熱がある。もう先が長くないとすっかり弱気になり、娘に会いたがっているので帰宅して欲しい」と。

「チョット行ってきます」の距離ではない。
また我が家の生活も妻が中心に動いているので、いなくなると機能不全に陥る。

とは言うもののダメ出しをすると、万一の事があった時には取り返しがつかない。
何せ、妻にとっては最愛の母親なのだ。
「貴方が反対したから、母の死に目に会えなかった」とでも恨まれたら、その後一生蟠りが残る。
「貴方がケチだから」とでも言われたら、生涯消えない禍根を残す。
拠って「それは最優先で」との結論になる。
取るものもとりあえず、翌日に妻は里帰りした。
そして案の定、妻の顔を見た途端、またまた元気回復。
血圧も熱も下がったらしい。

義母には、一時的にせよ「死」が現実の恐怖になったのだろう。
体が思うに任せないストレスが加わり、「娘と話がしたい」気持ちを抑えきれないのだろう。
年寄りの我儘なのだが、病気で気弱になったのだろうし、94歳の年齢を考えると批判するわけにはいかない。
義母がすっかり元気を取り戻したので、妻の方は一旦我が家へ帰ってきたが、いつ何時「また調子が悪い」と呼び戻されないとも限らない。

義母も、元気なうちは周囲の我儘年寄りには批判的だった。
しかし実際に自分が病気になると、不安な気持ちで冷静な判断は出来ない。
自分で我儘とは分かっていても、「あれして欲しい、これして欲しい」と要求が多くなる。
まぁ、我々夫婦が少々我慢すればすむ程度なら、年寄りの我儘を聞く事も必要だろう。

しかし、こんな事が自分の間近に起きると、我が身の将来を考えてしまう。
今ですら我儘な当方、理性心がなくなった頃には、誰にも増して我儘老人になり果てるだろう。
そしてその結果、家族からも周囲からも、嫌われ者になるに違いない。
しかしだからと言って、今から「イイお爺ちゃん」を装うのも難しい。

年寄り問題は、既にわが身に深刻に忍び寄っている。