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太陽電池では原発代替は無理?!

福島原発事故以来、原発への風当たりが強い。
電力がふんだんにないと、今までの快適な生活を維持できない。
しかし、最も低コストで安全と言われ続けた原子力発電は、世界中に「フクシマ」の名前と共にその神話がその根底から崩れ去ってしまった。
いまや、原発が安全だとは誰も言わない。
石原慎太郎東京都知事は、「それでも原発が必要」と消極的ながらも従来の自説を曲げない。
しかし橋下徹大阪府知事は、「新規原発は駄目」と変節してしまった。
誰だって、フクシマをみれば原発は怖くなる。
本音を言えば、NIMBY症候群。
「我が家から遠く離れた場所で、我が家向けの電力を供給する原発があれば」と思う人が大半だろう。

さりとて、「では化石燃料による火力発電」は地球温暖化には悪影響を及ぼすし、「では水力発電」にも脱ダム運動の活発化があり、電力供給問題解決の切り札には成り得ない。
一方、家庭を振り返れば、楽な生活を求めて「これでもか!」とばかりに次々と家電新製品が発売され、購買意欲を掻き立てられる。
我が家にも、ロボット掃除機が登場した。
人が近寄れない彼のフクシマ原発で、内部撮影に導入されたロボット会社の製品で、スイッチさえ押せば黙々と任務をこなし、終われば元の位置に戻っていく健気な掃除機だ。

テレビが一家に一台の時代から、一人一台になるまでは30年以上の時間を必要としたが、パソコンの方はあっという間に家族全員が所有するようになってしまった。
小学生に至るまで所有している携帯電話だって、全て電力で機能している。
結果として、家庭で使用する電力は増加の一途を辿る。
しかし世界中では、それまで電力不足解消の切り札と目されてきた原発に対して、「原発No!」運動が高揚している。
フクシマの惨劇が収まる目処さえない現状では、「原発賛成」とはとても言い難い雰囲気なのだが、そうは言っても、今年の夏の計画停電すら困ったものだと思うくらいに、現代人は電力依存の生活にどっぷりと浸りきっている。

そこで、救世主のように語られるのが太陽電池だ。
風力発電再生可能エネルギーの代表格だが、これは騒音障害で民家の近くには設置しにくい。
一方の太陽電池は、屋根、窓、その他家の空間さえあれば、基本的にどこでも備え付けられる。
しかしながら、現在のところでは、恐らくは一基当り2百万円ほどの高値と、電力コストそのものが売電価格に比べ倍近く高いので競争力がなく、政府の補助政策なしでは普及しない。
政府の補助とは、すなわち税金投入となる。
結局は国民全体が、例え高くても再生可能な太陽電池を広めていくしかない。
そうすると、今までのように何でも電気に頼る生活は難しくなり、消費が落ち込み景気が悪化する。
その結果、税収が減り、太陽電池への融通策も見直され、太陽電池の普及にブレーキがかかる。
まるで、鼬ごっこの構造になってしまう。
更に大きな問題点は、国土の狭い日本では大規模太陽電池発電所を作るほどの土地がない。
現状の太陽電池の変換効率レベルは低いので、原発一基分の電力を太陽電池で賄う為には、山手線内部全てほど広大なスペースが必要だ。
いい事尽くめのような太陽電池も、まだまだ日本全体の電力供給の主力になれるほどの力はない。

太陽電池に関しては、既に50年近い研究開発の歴史がある。
今のところ、家庭用ではあのバカ重たい装置を屋根に載せ、発電所では、海外ではバカッ広い土地に太陽電池をズラリと並べるスタイルが一般的だ。
だから中近東やアフリカのように、太陽光線が燦々と溢れ、全く使用されていない土地がふんだんにある地方ではかなりの戦力になるかもしれないが、日本に限っては、エコ意識が高い人のステイタスにはなっても、投下資金を回収するのに20年近くかかってしまう甚だ効率の悪い投資でしかない。
技術のブレークスルーによる大幅な変換効率改善とコストダウンが必須なのは、どこの会社も認識しているはずだが、さりとてそんなに簡単に解決できる問題ではない事も分かっている。
原発から太陽電池に変えれば、安全で安心な電力が確保されると期待するのは、幻想でしかない。

我々の快適な生活には電力が不可欠だから、その為の供給源として原発新増設が進められてきたが、フクシマはその裏に大変な危険が潜んでいる事を明らかにした。
問題は、日本だけではない。
今後発展途上国が、国力を増すにつれ、電力不足は世界的に深刻の度を増していく。
化石燃料には限界があるし、頼みの太陽電池もまだまだ問題点が多い。
原発が切り札にならないとなれば、結局は先進諸国では便利な生活を捨て去り、発展途上国では先進国並みの生活を望まない覚悟が必要になる。
それも世界規模で。
そんな事が出来るのだろうか?
パソコンを着けっ放しにして、ブログなどやっている場合ではないのかもしれない。

フクシマは、重要且つ深刻な問題を提起している。