昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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我ながら、何と欲が深い!

ブログで、こんな考えがあることが分かった。

「人を羨ましがらないこと。
今の自分に感謝すること。
人にあって 自分にないものを 欲しいと思わず
自分が得られているものに感謝せねば と
私自身 思っているのですよ。
人は人 って私は思うようにしています。」

我が身、我が考えと、何と違うのだろう。
僕の場合は、まるで正反対。

いつも他人を羨ましがっている。
今の自分にも、不満が一杯。
人が持っているものは、どんなものでも欲しがる。
自分が得ているものは、もっと欲しいと欲張る。
「人は人」との、諦めの境地には程遠い。

「ハングリー精神が強い」との、体の良い言い方もあるが、単に「強欲の塊」の方が言い得て妙なりのような気がする。
尤も多くの場合、世の中は、現状への不満や、そこからの脱出願望から進歩してきた。
余りにも悟りきってしまうと、植木等の「ハイ、それまでよ」になってしまうのではないだろうか。
小市民の権化である僕は、いつも何かに不満を持っている。

客観的に見れば、決して恵まれていないわけではない。
第一、この年になっても働いている事、働けるなんて、何にも増して恵まれている。
健康だからこそできるし、偶々周囲の人からの支援があってこそ、仕事にありついた。
ゴルフも適度にやっているし、年に一度は家族旅行だって出来る。
職場の同僚女性からは、「貴方の家庭は私の理想」とまで賞賛された事もある。
現状に感謝しなければ、罰が当たろうものだ。

しかし肝心の本人が、「もっと健康で、もっと金を稼いで、もっと良い生活をしたい」と、ちっとも満足していない。
仲間との比較でも、あらゆる場面で「あんなヤツに出来る事が、自分に出来ないはずがない」と、勝手に高い目標を掲げている。
その割には、地道に努力をする能力には欠けているので、たいていは実現できていないのだが、その時には適当な理由を見つけて、これまた自分勝手に出来なかった事を納得している。

向上心が強いとも言えるが、仏様の教えに最も遠い「我欲の亡者」なので、このままでは成仏は難しいだろう。
先ずは、健康を授けてくれた両親と、健康維持に気をつけてくれる家族への感謝から始めて、もっと余裕のある人生観に変えていかないといけない。

とっくにそんな年代に突入しているのに、悟りが遅い!