昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んで

増田俊也の超長編ノンフィクション、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読んだ。
700ページに亘って、上下二段、細かい字がビッシリと並ぶ大力作だが、スイスイと読める。
タイトルはオドロオドロしいが、中身は柔道日本一だった木村政彦の生涯を克明に追ったもの。
特に格闘技の世界では伝説となっている、木村政彦力道山の遺恨試合については、木村政彦への思いと、木村政彦の名誉回復を願う作者の情熱がヒシヒシと伝わってくる。
作者は、この試合は、力道山による一方的な八百長破りだったと強調しているが、一方では木村政彦には、八百長で既に勝敗が決まっているとの油断があり、ギリギリに体調を整えてきた力道山とは明らかに心構えが違っていたので、真剣勝負だったとしても、木村政彦の実力をもってしても、必ず勝てた保証はないとも述べている。

あらゆる武道の中で最強の柔術の歴史でも、史上最強の柔術家、木村政彦は、力道山に騙されて、日本中で注目された天下分け目の戦いに負けて生き恥を晒す結果となり、その後は失意の人生を送らざるを得なくなった。
彼はその恨みを晴らすべく、匕首を胸に力道山を殺そうとつけ狙った時期があるが、母校拓大柔道部を日本一にする夢に向かって努力する道を選ぶ。

力道山は、優れたプロレスのプロモーターで、木村政彦との頂上決戦に勝った勲章を最大限利用して、日本中のスーパーヒーローになるが、破天荒な性格からトラブルも相次ぎ、結果的にはやくざ者に刺されて死亡した。
その後はプロレス団体が乱立、アントニオ猪木ジャイアント馬場が活躍した時代もあったが、次第に人気が落ちている。

僕自身も、幼時はプロレスの大ファンだった。
力道山朝鮮人と言う事も知らなかったし、プロレスが八百長だとも思わなかった。
力道山時代のミスター・アトミック、ブラッシー、デストロイヤーや、猪木・馬場時代のタイガー・ジェット・シンやブッチャーなど、反則を繰り返し、日本人レスラーを苦しめる外国人悪役レスラーを嫌悪していた。

プロレスが八百長と知ったのは、高校生の頃だった。
テレビ放送の終了時間に合わせて、必ず勝負が決着するのが最初の疑問。
そう思ってみると、「パンチが手打ち」や「足蹴の前に一旦勢いを緩める」とか、見ていて真剣勝負とは思えないシーンが延々と続く。
極めつけは、覆面レスラーの強さ。
人間、覆面をした途端、視野は狭まるし、耳は聞こえ難いし、汗をかくと蒸し暑い。
何一ついい事はないのに、ミル・マスカラスは異様に強い。
またジャイアント馬場の動きがあれほど鈍いのに、空手一発で形勢逆転するのも、予めの予定調和がなければありえない。
ただ、あれだけ飛んだり跳ねたりしながら肉体を駆使し、出血を厭わないのだから、例え八百長でも、人並み外れた体力と運動神経が必要なショーだろうとは思う。
しかしそうは言っても、プロレスは筋書きのある八百長
それが分かると、プロレスなんてまるでつまらないショーになってしまう。

木村政彦は、バーリトゥード格闘技で敵無しの、ブラジルのグレーシー一族の尊敬をも集める、史上最強の柔術家だったらしい。
日本でも、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで称賛された木村政彦が、功なり名を遂げた後に、プロレスの世界で自分の強さを披歴しようとした事が残念で仕方がない。
尤も、50年以上も前は娯楽も少なく、武道家が生活の糧を稼ぐ手段が他になかったのかもしれない。
この大作を読んで、木村政彦の魅力を理解できたような気がする。