昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

オヤジの思い出

12月23日、天皇誕生日
我が家では、今は亡きオヤジの誕生日でもある。
オヤジはいつも、「皇太子(当時)は、俺より遥か後に、俺が産れた日を真似して産れた。だから23日の誕生日は俺の方が遥かに先輩で偉いんだ」と自慢していた。

オヤジが死んで、もう25年以上経った。
今や、フトした切っ掛けがないと、オヤジを思い出す事はない。
その一つが天皇誕生日
だから僕にとっては、年末のこの日は、オヤジの記憶を新たにする記念日でもある。

オヤジは、喘息の持病持ちだった。
台湾で警察官をやっていた時、現地の粉塵で気管支と肺をやられ、それ以来季節の変わり目には必ず咳き込んで苦しんだ。
喘息の発作は、もちろん本人が一番辛いのだが、周りも結構辛い。

僕が10歳の時、オヤジは喘息が悪化して入院した。
ある晩遅く、その病院で付き添っているオフクロから緊急電話が入った。
「お父さんが危篤、病院の先生から家族、親戚に連絡するように言われた」
オフクロは泣いていた。

家族全員が病室に駆け付ける。
そこには、背中を丸めて苦しむオヤジと、涙ぐみながらその背中を擦っているオフクロがいた。
オヤジは、喘息特有の虎落笛の様な「ヒューッ」という音で喉を鳴らし、満足に息が出来ない。
その苦しさが、ずっと続いていたらしい。
そんな将に虫の息状態のオヤジが、僕の顔を見た時に発した台詞を、僕は絶対に忘れない。

「来たか、俺はもう駄目かもしれない。お母さんを頼むぞ」

必死の思いでそれだけ言うと、後はまた息をするのがやっとの状態に戻る。
僕は悲しくて悲しくて、泣いてばかりだった。
しかし何せ子供なので、控室に待機しているうちに、いつの間にか寝込んでしまった。
翌朝、目を覚まして病室に行くと、オヤジは眠っている。
徹夜で看護したオフクロが、「お父さん、大丈夫だった」と教えてくれた。
一晩中苦しんだが、何とか命は長らえたらしい。

オヤジはその後も喘息には悩んだが、危篤状態の時に貰った薬が特効薬と信じ込み、それさえ飲めば発作は治まると思い込んでいた。
ただ余りに苦しんだ為に、一晩で極度の脱肛になり、生涯に亘って悩む持病が一つ増えてしまった。
そんな死ぬか生きるかの苦しい息の中でも、遺言に「お母さんを頼む」と言い残そうとしたオヤジ。
自分が同じ状況になった時、同じような行動を取れるのだろうか?
何気なく人生を過ごし、馬齢だけは重ねた僕にも、今になって分かった事がある。
オヤジ、あんたは偉い人だったんだナァ!