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「相貌失認症」みたい

インターネットで調べると、義母の病気は「相貌失認症」のようだ。
「親しい知人・肉親の顔がある日突然認識できなくなる」。この相貌失認の典型的な症状は古くから確認されており、ツキディデスの歴史書にはペロポネソス戦争に参加し、頭部を負傷した兵士の例が記述されている。このように頭部損傷や脳腫瘍・血管障害等が後天的に相貌失認を誘発する要因となる。
以来、「顔の認識ができない」という症例は数多く報告されてきた。これを「他の認知機能には支障がない」選択的な障害としてとりまとめ、相貌失認と命名されたのは1947年。ドイツの神経学者Bodamerの手による。

義母の場合、自宅に戻った時、ソコにいる自分の子供が「知らない人」になってしまう。
子供達は焦り、必死に自分達の存在を証明しようと努力する。
すると義母は益々訝る。
「私が生んだ子供を間違えるはずがないでしょう。それなのにあの人達は、僕が○○とか、ワタシが××とか、嘘を言う」と、却って警戒心を強めてしまう。
更に、知らない人が自分の家に上がり込んで、勝手気ままにテレビを見たり、料理をしたり、自分のお金で買い物をする」と、腹を立てる。
「こんな所にはいたくない、施設に帰りたい」と涙ぐむ。
夜中にトイレに起きてきた義母は、居間に我々三人が座っているのを見て恐怖に顔を引きつらせて転倒しそうになってしまった。
やはり顔を認識できないために、自分に仇をなす人間が集合していると勘違いしたようだ。

翌31日からは、義母の周りにはいい人ばかりしかいないと説得する事にした。
義母が怖がっている三人(実は義兄と我々夫婦)も、「とっても親切な人達でしょう」と言うと、「確かにいい人ばっかり」と答える。
自分の子供が突然いなくなったり、よく似た人達が登場する事は不思議で仕方がないが、それでも危害を加えられる恐れは段々小さくなっていったようだ。

義母は、老人施設が自分の棲家と思っている。
そこが彼女の一番安心出来る場所のようなので、年越しの為に老人ホームに連れて行った。
ところが、万事理屈っぽい義母自身は、正月は自宅で子供達と過ごすと決めていたようで、施設に着いた後「わざわざ来てくれた娘夫婦も一緒に、家でおせち料理を食べたい」と言い出した。
どうやら、自宅が悪魔の巣窟との思いはなくなったようだ。
我々三人にとっても、この義母の変化はうれしい。
先ずは、昼食に近所の蕎麦屋に出向く。
ところが、年越し蕎麦を求める客がごった返ししている。
待ち時間の間に、それまで認識していた子供が、またも他人になってしまい敬語を使い始めた。
それでも怯えはない。
息子に対して、「貴方は私の事をよく知っているけど、マッポシさんですか?」と聞く。
マッポシさんとは、義母の住む地方では、何でも正確に予言する擬似神様の愛称だ。
そこで義兄が「そうです。僕はマッポシさんです。だからオカアサンの事を全部知っているんです」と答えると、「成る程、だから詳しいのだ」とやっと納得した。

取り敢えずは納得したものの、まだまだ不可解な思いは残ってはいるらしく、よく考え込む。
しかし、少しはモヤモヤした気分が晴れたようだ。
その晩は、親子四人(含:当方)で、死んだ義父の思い出話や、面白方言の話で盛り上がり、義母も数日振りに楽しい一日だったと心底喜んだ。
我々もすっかりうれしくなり、義母が寝入った後にささやかな祝宴を挙げた。

義母は、間違いなく家族の認識能力は欠落している。
しかしそれでも、今のところは、不安感さえなければ擬似家庭生活は営めそうだ。
正月明けには、専門医の診断を受けて、適切な治療法を教えてもらう積りだ。
その後は、焦らず、気を長く持った義母との付き合いが始まる。