昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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義母に起きた奇跡とその後

妻はまた里帰りをしている。
今年に入ってこれで三度目、義母のお見舞いだ。
チョイとそこまでの距離ではない。
それでも妻は、何とかスケジュールを遣り繰りして、義母の元へ赴く。

義母は正月に突如として子供の顔が分からなくなり、我々夫婦共々この時ばかりは年も年だし、このままボケていくものと覚悟した。
妻は涙ぐんでいた。
それはそうだろう。
娘の顔が分からないのなら、親子であっても親子ではなくなる。
人一倍母親思いだった妻には、耐えられない辛さのはずだった。
しかしこればかりは、何とも仕様がない。
親子の関係が認識できなくなっても、決して他人ではない。
だから耐えて親孝行するしかない。
「他人なのに、なんて親切な人なんだろう」と義母が思ってくれれば、それで満足しなければならない。
正月には、そんなことを妻と話していた。

僕は仕事の関係で、1月3日には妻の実家を後にした。
残った妻は、義母が「胸が苦しい」と訴えるので、正月明け早々に病院に連れて行った。
医師の見立てでは、「肺に水が溜まっているので、緊急に入院しなければならない」と言う。
肺に酸素を送りこむために、烏天狗のような器具をつけられたのだが、ここから奇跡が起きた。
なんと義母の意識が、普通に戻ってきたのだ。
もちろん子供も、正常に識別できる。
それだけでなく、正月に自分がおかしかったことも思い出す。
「あの時の自分はどうかしていた。娘の顔がいつの間にか違ってきてしまった。なんだかおかしかった」と、何度も首をひねる。
医者によると、肺がうまく機能していなかったので、脳に送り込む酸素が不足したのでは」と、あまり科学的ではないが、極めて分かりやすい説明をする。
いずれにしても、あの正月の悲劇的状況からすれば、全く普通の状態に戻ってきた。

夏休みには、夫婦で見舞いに行った。
無論義母は大喜びで、料亭で食事するまでに回復してきた。
暗い夜道を歩く時に、転倒しないように義母の手をとって歩いた。
義母はこれがうれしかったらしい。
「娘婿が、私の手をとって歩いてくれた。」
見舞いに来る人全部に、自慢話をしたらしい。
僕にとっては、義母の転倒防止のために何気なく取った行為だが、いつもさびしい思いをしていた義母には、自分のことを心配してくれる人が身近にいると実感したのだろう。
妻もまた、喜んでいた。
僕は照れくさいので、「オヤジさん以来、何十年ぶりかで異性に手を握られて嬉しかったのでは」と答えておいた。

退院後、義母は老人施設に入った。
義母の本音は、やはり長らく義父と暮らし、思い出がいっぱいの実家に戻りたいのだが、そこには世話をしてくれる人がいないので、施設に戻らざるを得ない。
そんな義母の気持ちが分かっているので、不憫でならない。
しかし、まだ現役で仕事をしている僕に出来ることは、せめて妻が帰省できるチャンスを増やしてやることくらいしかない。
拠って、今年三回目の里帰りについては、文句ひとつ言わず、笑顔で送り出した。
ついでに「お母さんにお土産でも」と、大枚三千円を妻に委ねた。

娘が帰省すると、その間は義母も施設を出て、実家で過ごせる。
義母が電話をしてきた。
「貴方に迷惑をかけてすみません。今回は私の大好物のお土産まで貰って」と大喜びだ。
そこまで喜ばれると、こっちも何かとっても良いことをしたような気分になる。
義母は今年96歳。
「体調はどうですか?」と聞くと、「腰が痛いけど、これはいつものことだから。後は元気です」と前向きだ。
「早く死にたい」と絶望的になっていた一年前とは、隔世の感がある。

我々夫婦にとって、義母はたった一人残った両親だ。
年々小柄になっていくが、好奇心の旺盛さは変わらない。
可愛らしい老人とも思う。
妻のためにも、僕のためにも、少しでも長生きしてほしい。
義母が元気になってくれるのであれば、僕が少々不自由するなんてことは全く取るに足らない。
むしろ僕が不自由でたまらないほど、義母にはいつまでも元気でいてほしい。