昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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体罰と気合入れ

体罰問題が姦しい。
大阪桜宮高校では、バスケ部顧問の暴力を苦に主将が自殺。
この小村基バスケ部顧問が、その昔の人気番組スクールウォーズの主人公だった伏見工業高校山口良治氏の娘婿だったのも皮肉だ。
山下真司が演じた主人公は、大敗したのに悔しさを表さないラグビー部員を叱責し、泣きながら鉄拳を振るう。
体罰そのものだが、そこに愛情が溢れているので、父兄も黙認、何より生徒たちが奮い立つ。
伏見工業高校ラグビー部は、その後は全国制覇を成し遂げるほどに大躍進、まさに体罰の教育的効果を証明したようなケースだ。

女子柔道会では、体罰を振るった監督が辞任した。
トップ選手15人に告発された園田監督は、「自分の指導は一方通行だった」と自己批判した。
言葉の暴力も問題視されている。
その後、前強化委員長、コーチまで辞任したが、柔道会そのものの体質を問われる事態となってきた。
強化委員長、監督、コーチは、選手選考に大きな影響を持つので、選手は指導者に逆らえない。
日本のスポーツ界には、師弟関係や上下関係がわずらわしい。

それもこれも大会への選手選考が記録会の一発勝負ではなく、有識者の談合で決まることに遠因がある。
海外では体罰問題はほとんど発生しない。
どんなに過去に優れた記録、実績があっても、選考会で負ければ駄目。
分かりやすいシステムだし、選手と監督、コーチの関係は同格として扱われ、契約がベースだ。
お互いに目標を共有化しているので、結果が出なければ、指導者は解雇されたり、万一体罰があれば訴えられたりする。

もう一つ、日本に体罰が色濃く残る理由として、日本に「気合」を重視する風潮が強いことがある。
僕の知る限り、海外では精神主義の権化である「気合」などを重視しない。
むしろ合理的に目標を設定し、スケジュールを決め、それに沿って練習をする。
一方の日本では、アントニオ猪木のビンタが、気合注入と喜ばれ、アニマル浜口は、事あるごとに「気合だ!気合だ!気合だァ!」と絶叫する。
日本人は太平洋戦争の時だって、「気合」だけでアメリカに勝てると思っていたような民族なのだ。
そんな風だから、スポーツの練習も精神面の修行を重要視する。

体罰が精神を鍛える手段なのかは甚だ疑わしいが、体罰をする指導者は頑なに体罰の効果を信じ込んでいる。
確かにほぼ実力が同じ同士の選手が戦えば、勝つことへの執念の差が勝敗を分けるかもしれない。
しかしその執念は、体罰を耐えることで培われるものだろうか?
今回の桜宮高校で自殺したバスケ部の主将、監督、コーチの所業を集団告発した女子柔道選手たちを見る限り、体罰の効果は指導者の勝手な思い込みでしかない。

僕の中学、高校時代は、体罰なんて当たり前だった。
体育会のクラブ活動だけではない。
普通の授業でも、問題が解けないと殴られた。
僕の同級生は、英語の教師の暴力を恐れ登校拒否になり、結局一年留年してしまった。
今なら大問題だろうが、当時は誰一人抗議することもなかった。
こんな暴力教師が怖くて、瞬間的にその教科を勉強した覚えはあるが、身に付いた実感はない。
合理的で的確な指導が必要なのであって、体罰で成績が上がるとは思えない。

「気合」も大事だが、それは実力のプラスアルファでしかないので、そのために体罰を認めるのは、やはり時代錯誤だ。