昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ツキに恵まれた人生でした

「努力は人を裏切らない」らしい。
「努力は最大の天分」とも言う。

しかし、こんなことを言うとひねくれモノと顰蹙を買いそうだが、世の中、どんなに努力をしても、必ずしも結果が伴うものではない。
「こんなに努力したのだから、きっといい結果が出る」とはよく聞くフレーズだが、実際はどんなに努力を重ねても、うまくいく保証などないものだ。
無論、努力をしないよりも、努力した方が良いに決まっている。
しかし努力は、結果の良し悪しを求めるためだけよりも、むしろ結果が出るまでの安心感や、「ここまで頑張ったのだから仕方がない」と、結果を受け入れるための言い訳の方が大きい。

努力ができるのは、それだけでも才能だ。
僕は決して真面目な努力家ではなかった。
特に学校の勉強では、不真面目そのものだった。
中学、高校のころ担任から「君はもう少し熱心に勉強さえすれば、成績はずっと良くなるのに」と注意されるたびに、「勉強するのは才能だけど、僕にはそれが備わっていない」と、簡単に割り切っていた。
大学の時も同じようなもので、経済学を学んだのに、経済のことは何一つわからない。
未だに世の中の動きに関しては、後からの理屈付けは得意だが、これから起きることを予測するとほとんどは外れる。

それでも、自分が好きなこと、例えば仕事や趣味の世界では、人並みに努力をした覚えがある。
仕事の面では、眦を決して取り組んだことはないが、それでも結果を出そうと必死で考えこんだ。
顧客への説明や売り込みも、社内へのフィードバックも、重要な案件はすべて事前に想定問答集を作成し、予行演習をして臨んだ。
ゴルフに関しては、年間40回以上のプレイをこなし、試行錯誤を繰り返してきた。
ほとんどうまくいかないケースばっかりだったが、むしろそれが楽しくて生涯の趣味になった。
趣味の盆栽は独学ながらも、貪欲に良いものを鑑賞して回り、一応は周囲から羨ましがられる数鉢を所持するに至った。

僕のようなズボラな人間には、結果を出すのに努力に勝るモノはないと思うよりも、むしろ運がいいのか悪いのかの方が影響は大きいと考える方が楽だ。
実際に自分の歩んだ道を振り返っても、実はえらく厳しい局面に遭遇していたり、あるいは剣ヶ峰の危機だった場面もあったが、その時の本人はまるで楽観的に考えていた。
不動産業界がドン底の時期には、ひょっとしたら自己破産かもしれないようなピンチもあったが、ギリギリで事なきを得た。
ケセラセラ、先のことなど分からない」などと、気楽に生きていたら何とかなったのが実感だ。

決して順風満帆ではなかったが、さほど嫌な人生でもなかった。
真面目ではなかったが、誠実な人生だったと自信を持っている。
そして今までの結果のプラスマイナスは、ツイていた分だけ絶対にプラスが残っている。