昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「先生」と呼ぶ馬鹿、呼ばれる馬鹿。

東南アジアの観光地で、日本人にしつこく纏わりつく物売りは、妙なイントネーションで「シャッチョー!」と連呼する。
こう呼びかける方が、インチキ商品でも売れる確率が高いのだろう。
こんなところにも、人間が本能的にお世辞や煽てに弱い事を良く現れている。

国会議員同士が、「○○センセェー」と呼び合うのは、大層聞き苦しい。
テレビの討論会で丁々発止、与野党議員たちが、唾を飛ばさんばかりに侃々諤々の議論を戦わせていても、お互い同士は「センセェー」と敬称をつけ媚び合う。
元々保守の自民党議員なら、変革を嫌う体質だろうから、世間体を気にして、少しでも重々しいイメージ造りに勤しむような気がするが、革新を自認する野党議員までが、お互いを「先生」呼ばわりだ。
とりわけ、鈴木宗男田中真紀子福島瑞穂は、慇懃を通り越して完全に無礼に域に達している。
彼らには常識かもしれないが、世間ずれしていることに気がつかない国会議員たちが何と多いことか。
お互い「○○さん」と、シンプルに話しかければいいのにと思ってしまう。

弁護士も「先生」。
先だって顧客との間にちょっとした揉め事があり、双方弁護士を立てての交渉となったが、相手側の弁護士宛の書状の宛先は、「××先生」。
僕は、敵方の弁護士なので「××様」で充分と思ったが、連中同士ではこれが常識らしい。
下手に無礼だと思われると、相手弁護士の闘争本能に火がつくかもしれないので、たかが呼称なら無難が一番らしい。

学校の教師が「先生」なのは理解できるが、他の職業に就いている人を「先生」と称して持ち上げるのは違和感がある。
塾の講師も「先生」、ゴルフのレッスンプロも「先生」、町の長老も「先生」と、世の中は先生だらけだが、大学の教師は「教授」。
こっちは先生よりも格上と、主張しているようだ。
いずれにしても、肩書きや呼称に拘るのは、中身に自信がないからのように見えてならない。

僕は、組織の構成員には各々の役割があるので、決して全員が平等ではないが、上下の関係ではないと思ってきた。
よって部内では、上司とか部下とかの言い方はしない。
お互いを呼ぶ時は肩書きではなく、「△△さん」にしようと呼びかけてきた。
しかし対外的には、顧客は我が社の役職者に対して、その肩書きに応じた期待感を持っている。
そんな顧客にまで、社内の価値観を押し付けるわけには行かない。
だからやむなく、顧客の前では、部長とか課長とか肩書きを使用しているが。

「先生」と呼ぶ馬鹿、呼ばれる馬鹿。
僕の先輩は、駅前のバナナの叩き売りのオヤジから「ヨッ、そこの石坂浩二!」と呼びかけられて、衝動的にまるで不要なバナナを買ってしまったと苦笑していた。
彼の人相風体は、本物の石坂浩二とは似ても似つかないものだが、分かっていても騙される。
煽てて呼ぶ方は、この香具師みたいに腹に一物があって持ち上げているはずだ。
だから、やはりそれに気付かず、「先生」だの「社長」だの、呼ばれて喜んでいる方の馬鹿さ加減の罪が重い。