昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

方言を大事にしよう

「故郷の訛り懐かし停車場の、人混みの中にそを聞きに行く。」
石川啄木が、方言を聞いて望郷の念に駆られる事を謳った短歌だ。
小学校の時に習ったが、今でも覚えている。

僕は田舎で生まれ、田舎で育ったので、方言の真っ只中にいた。
但し僕の父親は台湾からの引揚者だった所為か、家では方言をほとんど使わない、田舎では一風変わったオヤジだった。
だから僕は、家では標準語(に近いモノ)、友達と遊ぶ時は方言を使い分ける、バイリンガル少年だった。
ただ高校を卒業し東京の大学に進んだ友人達が、わずか数か月後の夏休みに帰省した時に、東京弁を使うのはどうしても馴染めなかった。
田舎モノたちには典型的な東京弁と思われていた、語尾に「だからサァー」をつけたり、何かと「チャッテ」を多用する様が全く板についていない。
そんな似非東京弁を聞くたびに、虫唾が走った。

自分の故郷の方言は、いつ聞いても懐かしい。
忘れないように、方言を思い出すたびにノートにメモしているくらいだ。
最近のテレビや映画でも、地方を舞台にしたドラマが多く放映される。
我が故郷も偶にドラマの舞台になるが、そこで使われる方言を聞くたびに、拘り田舎モノの僕はいつも不快な思いを抱く。
アクセント、微妙なニュアンスが悉く違う。
だから、聞く人が聞けば全く違う言語で、例えて言えば、フランス語ではなくドイツ語で恋人同士の愛の囁きが演じられる、そんな場違い感がぬぐえないのだ。

僕だけが違和感を持つのかとも思っていたが、実は自分の方言に拘る人って結構たくさんいる。
先だって行った沖縄でも、ヤマトンチュウが付け刃で話す沖縄弁は、ウチンチューのモノとは「似て非なり」どころではない、「似てもいない、全くの非」と断定された。
NHK朝のドラマは、東京と大阪で交互に製作されている。
その大阪担当の番組で、東京モノが使う関西弁も聞くに堪えないらしい。
方言の玄人は、そんな素人方言には嫌悪感すら覚えるようだ。

人間は言葉で、お互いに意思を確認している。
現在の、国際的共通語は英語。
だから猫も杓子も、英語を使わないと時代遅れになってしまう、
そんなグローバル時代でも、方言には標準語にも英語にもない、独特の温もりと個性が溢れている。
一瞬で数十年の時空を超えるなんて、方言でしかできない技だ。

大分、宮崎県には、この地域特有の「よだきぃ」なる方言がある。
標準語ではニュアンスが伝わりにくいが、「かったるい」とか「やる気が起きない」状態を指す言葉で、彼の地では大人も子供も「よだきぃ」を連発する。
韓国の「ケンチャナヨ」、タイの「マイペンライ」にも似た、地域文化を表す極めて便利な方言らしい。
ところが、こんな素晴らしい言葉を理解できない人種が存在する。
小学校の先生達から、小さなガキまでが「よだきぃノォ」と言うのは教育上よろしくないと声が上がり、「子供によだきぃを使わせない」運動が発生したらしい。
が、笛吹けど踊らず。
先生の目の届かないところでは、相変わらず「よだきぃノォ」が頻繁に使用され続けた由。

方言大好き人間には溜飲の下がる話だが、最近の子供たちはテレビの影響で、歴史と伝統に根付いた方言を使わなくなっている気がしてならない。
このままでは、日本全国で同じような言葉が使われる事になり、方言と地域文化が衰退する。
「現代の石川啄木」は、そんな事態を心配している。