昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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衰えとボケの検証

どんなに若々しい人だって、必ず年を取る。
ボケるかどうかは人それぞれだが、老化だけは避けられない。
何せ、一秒、一分、毎日の如く時間だけは確実に過ぎていくからだ。

世の中には、年齢を感じさせないような鉄人がいて、先だっても80歳でヒマラヤ登攀をこなした元気印がいたが、こんなのは例外中の例外。
大抵の人は、年と共に老いさらばえるし、大半の老人が体力減退や健康に不安を抱えながら生きている。
僕は、いつまでも異常な若さを誇ったり若作りをするのは、却って滑稽だし、傍迷惑と思っているので、自分自身は何一つ頑張る事なく、普通に老い、衰えるに任せてきた。
結果として、何かと体調に異変を生じてきたし、外観はまるで年相応の冴えない老人初年兵となってしまったが、それはそれで本望だ。

ボケの方は、かなり不安だ。
老いによる外観の衰えは一目瞭然だが、ボケてしまうと本人にはそれを自覚できない。
だから自分はボケていないと思っていても、傍から見ると完璧なボケ老人かもしれない。
昔聞いたことだが、年を取った老人で最初に欠落するのが、自分を客観的に見る能力らしい。
確かに数多の有名人の中には、颯爽としていた若かりし頃や、脂が乗り切っていた頃からは信じられないほど、醜く晩節を汚した人達がいる。
有名であればあるほど、そのギャップが目立ってしまう。
これなんか、将に自分の言行振りを客観的に見る事が出来ていれば、必ず避けられただろうから、それまでの功績を考えれば真に勿体無い事だ。
しかし肝心の当人は、「絶対に自分は正しい。間違っていない。まだまだ若いものには任されない」と信じ込んでいるので、周囲は如何ともし難くなってしまう。
自分はそうではないと断言できないのが、辛いところだ。

死ぬ直前まで誰の世話にもならず元気で、ある日ポックリと大往生するのが理想だが、そう思い通りになるものではなく、現実は何がしかの他人様、とりわけ家族からの支援がないと老後を過ごせない。
ボケを恐れるのは、家族や他人に迷惑をかけてしまう事を恐れる心理が働いていると思われる。
確かにボケた場合、自分を律しようなんて思いつかないし、事の善悪の判断能力が欠落しているのだから、悪気がなくても世間に迷惑をかけてしまう。
衰え方とボケ方には正解があるわけではなく、結局は耐用年数を過ぎてお役御免になったヒトに対する周囲が愛情を注いでくれるかに尽きる。
そして「今まで働き続けてくれてありがとう」と、感謝と愛情を注いでくれるか、はたまた「稼ぎもない、役立たず」と看做されるかは、それまでの生き方が反映されてしまう。

恐ろしい話だが、夫が定年になり収入が無くなった時点で御用済み、後は財産を半分コして三行半を突きつける主婦も増えているらしい。
人間は必ず衰え、かなりの確率でボケてしまう。
家庭を顧みず、ひたすら会社での栄達を目指した自称「企業戦士」は、実はリタイアした後の老後こそ、その真価を問われる。
会社なんて、いくらでも代わりの人間はいる。
しかし老後の面倒を見てくれる可能性があるのは妻か子供であり、彼らから尊敬され大事にされるか、お邪魔虫扱いされるかは、今この瞬間に良い家族との接し方、生き方をしているかにかかっている。

どんなに世間に迷惑をかけようが、ボケてしまった当の本人は責任能力が無くなっている。
しかしそれでも、世間様から後ろ指を指されるのは好ましくない。
だからそうならない為には、元気な頃から余り我が儘放題や、偉ぶった振舞いを避け、周囲に嫌われないように配慮しながら、「ボケたら御免なさい、宜しくね!」と予防線を張っておくに限る。

説教がましい事を言っているが、さて自分の事になると、こっちはもっと自信がないのもまた辛いところだ。