昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「世界の宮崎駿」らしいけどネェ…..

日本は、誰がどんな思想を持っていても、どのように発言しようと、他人に迷惑を掛けなければ罪になる事はない。
我々はそんなのは当たり前と思って、好き勝手な事をホザイているが、これは大変な権利であり、世界中、誰もが恩恵に浴しているものではない。
隣国、中国は、共産党一党独裁国家だから、共産党の利益に反する発言は絶対に許されない。
この中国では、下手な事を言おうモノなら、抹殺されてしまう恐れだってある。
また別の隣国、韓国では日本国籍呉善花さんを「韓国文化を貶めている」との理由で入国禁止にした。
韓国は「自由と民主主義」を標榜していても、国家にマイナスな発言を許さない体質を露呈した。

日本では、世界的に有名なアニメ監督、宮崎駿の発言が話題になった。
彼は、「憲法改正には反対」だけでなく、現在日本と、中国、韓国で鍔迫り合いの真っ只中にある諸問題についても、「慰安婦には謝罪・賠償を、尖閣列島は中国と日本が半分ずつ、竹島は日韓で共同管理に」と、悉く日本に不利な主張をした。
中国、韓国は大喜びだが、彼の国でソコソコの著名人が逆の意見を言ったら、間違いなく身柄を拘束されてしまうだろう。
宮崎駿は、日本人で良かったと、心から喜ばないといけない。

僕は、世界的に有名監督のアニメ作品は、幸か不幸か一本も見ていない。
これほど世界観、価値観が違う人間の作品なら、見なくて良かったとは思っているが、これも僕個人の感性なので、他人様に強制しようとは思っていないし、宮崎駿がどんな意見の持ち主でも、それは認められて然るべきと考えている。
しかし宮崎駿安倍晋三に対して「考えが足りない人間」呼ばわりしたのは、絶対に間違っていると確信している。
宮崎駿安倍晋三は考え方が違うのであって、片一方が全面的に正しく、他は間違っている訳ではない。
世界中で発生している紛争も一緒で、どちらかが正しく、どちらかは間違っているのではない。
両方とも主張するべき理由があるから、簡単には片付かないのだ。

例えばキリスト教徒は十字架を絶えず所持するが、イスラム教は偶像崇拝を否定する。
ではどちらかの宗教だけが正しいのかと言えば、信じる人にはどちらも正しい。
同様に、憲法を改正するべきと考える勢力には、それなりの思想背景があり、宮崎駿のように憲法を守れと訴える連中も、思想的根拠を持っている。
結局、この二つを足して二で割る方策などあり得ないので、多数決でどちらかを採用せざるを得なくなる。
宮崎駿が自分の意見を主張するのは全く自由だが、反対意見を軽んじるのは思い上がりなのだ。
ついでに言えば、「投票率が半分で選ばれた政府が、どさくさに紛れて憲法改正なんてもってのほか」との発言もおかしい。
確かに投票率半分の過半数だから、国民の四分の一で選ばれた政府なのは間違いないが、それが民主主義のルールだし、棄権した人の中にも憲法改正には賛否半々と見るのが普通だろう。
「どさくさ」と言うが、安倍晋三は持論として憲法改正を訴え続けてきた政治家なのだから、彼が総理大臣になれば、必ずその方向に動くと分かっていたはずだ。
そして安倍晋三は、選挙の結果、総理大臣に返り咲いた。
それは取りも直さず、現在の選挙制度、民主主義下での日本国民の選択の結果だ。
無論、安倍晋三がいくらそう考えても、憲法改正に至る道は遠い。
安倍晋三もそれが分かっているので、拙速を避け、手続きを経ながら、憲法改正の動きの盛り上がりを待つ作戦に切り替えている。
単純に「憲法を守れ」と喚き、反対意見を「考えが足りない」と罵倒する宮崎駿よりも、よっぽど安倍晋三の方が思慮深いではないか。

僕は、憲法に関しては、何が何でも改正するべきとは思っていない。
しかし、「憲法があったから平和が守られた」とか「平和憲法があれば平和が守られる」なんて世迷い事を、真面目くさって話すような護憲派の輩には、嫌悪感すら感じてしまう。
そもそも第二次大戦後の日本は、確かに「平和」を享受したかもしれないが、世界中の至る所では戦乱が止む事はなかった。
平和が守られたなんて、わずか国内しか見ていない考えであり、グローバル時代の今日、一見全く無関係の場所でのトラブルでも、必ず日本に悪影響を及ぼしてしまう。
現に、リスクの高い海外へ赴任する日本人は急速に増えているし、今後とも増え続けるだろう。
そんな時代なのだから、日本だけの平和を祈ってもそれは叶わないし、もはや許されない。
また、人の領土を掠め取ったり、侵犯を繰り返している連中に、平和的解決を訴える事に何の意味があるのか。
こんな平和ボケ連中が「憲法を守れ」と言うのなら、やはり憲法は変えた方がいいのかなと思ってしまう。