昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ドラマ「半沢直樹」の悪役

大評判のテレビドラマ、「半沢直樹」が終わった。
仕事仲間も熱中していたので、職場でもこの話題で盛り上がりっぱなしだった。

不覚にも僕は、このドラマが池井戸潤の「俺たちバブル入行組」「俺たち花のバブル組」を原作にしている事を知らなかった。
実は池井戸潤の作品はかなり読み込んできたが、最初に手にしたのがこの本だった。
以来すっかり病みつきになっていたが、主人公の名前などとっくの昔に失念している。
今やこの文庫本は両方共100万部を越す大ベストセラーのようだが、名前が売れる前からこの作家に注目していたのは、密かな自慢の一つだ。

池井戸潤は、「下町ロケット」が直木賞を受賞した事がブレイクの切っ掛けだ。
しかし実は直木賞受賞作品よりも、直木賞の候補にはなったが受賞を逸した「空飛ぶタイヤ」の方がはるかに面白い。
そのワケを考えると、悪役の役回りの違いに思い至る。
下町ロケット」は、大企業松下電器(もどき)とその関係者が悪役を演じているが、ワルに徹しきれていない。
主人公に同情した妙にヒューマンな部分が散見され、孤立無援で不遇な主人公のイメージが薄らいでしまう。
一方の「空飛ぶタイヤ」は、悪役側の大企業、三菱自動車(もどき)の関係者が徹底的に卑劣で、悪賢しく描かれているので、ピンチに陥る主人公への思いと感情移入が尋常ではなくなってしまう。
やはり非現実な世界を描く小説は、善玉と悪玉の徹底的な対比の方が面白い。

翻ってテレビドラマ「半沢直樹」については、まさにこの悪役大和田暁常務の存在が、ドラマを盛り上げた最大の要素ではないだろうか。
無論、主人公の決め台詞、「やられたらやり返す、倍返しだ」は流行語になったので、人気の一因だろう。
日頃思っていても言えない、やりたくても出来ない事が多いサラリーマンは、せめてテレビドラマの主人公に共鳴し、一体化する事で、鬱憤を晴らした気持ちになる。
だからこそこのドラマが人気を博したのだろうが、それは悪役がワルであるほど、あるいは主人公がピンチに陥るほどに、応援する気持ちが強くなるものだ。
その意味で、大和田常務を演じた香川照之の悪役ぶりは素晴らしかった。
また最終回では、それまで誰もが善玉のトップの思い込んでいた北大路欣也演じる中野渡頭取が、実は一番のワルで、大和田常務は一階級降格処分で済んだが、哀れ半沢直樹は子会社に飛ばされてしまう。
もっと厳しい処分を覚悟していた大和田常務に対して、中野渡頭取が「僕は銀行家としての君を評価していた」と話す。
一方、思いもかけない左遷内示を言い渡された半沢直樹の、驚きとも怒りとも取れる目の表情の大写しがエンディングとなった
池井戸潤は元三菱銀行員で、銀行の現実が理想とは大きく隔たっている事を熟知しているし、そんな銀行そのもののあり方に批判的なのだろう。
無論原作を読んでいた僕は、半沢直樹が左遷される結末を知ってはいたが、内示を言い渡された時の堺雅人の目の演技は、悪役大和田が土下座させられる香川照之と並んで秀逸だった。

ただストーリー自体は、大和田常務の忠実な下僕、岸川部長が、自分の娘と、やはりドラマ盛り上げの一翼を担っていた金融庁の悪役黒川が結婚するスキャンダルをもみ消すために大和田常務を裏切るのはかなりの無理筋だ。
ロメオとジュリエットでもあるまいし、今時金融庁検査官と銀行員の娘の結婚がスキャンダルになるわけがないし、当然隠し遂せるものでもないので、当人たちは事前に報告し対処案を考えているはずなので、これが決定打となって、娘の幸せの為に主君を裏切るのはエンディングとしては安直だ。
マァ、物語なので、余りうるさい事を言うのは野暮だろうが。

実際の会社にはあんな表情や喋り方をする主人公も悪役もいないのだが、そこはドラマなので、大袈裟であればあるほど善玉主人公が際立ってくる。
今回のドラマ成功の最高殊勲選手は、当然ながら半沢夫婦を演じた堺雅人上戸彩と認定されるのが相場だろうが、実際は絶対に香川照之
「倍返しだ」よりも、「やれるものなら、ヤッテミナ!」の方が、深みがあるナァ。