昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ゲージツ家

僕は昔から、芸術的才能に対して強い憧れがある。
逆に言えば、芸術的才能が皆無だからだ。

例えば歌。
日本人による世界的大発明とも言われるカラオケも、自分から積極的に歌おうとは思わなかった。
即ち、歌が下手だからだ。
これは、父親の負の遺産かも知れない。
父親は、社内旅行などのバス内で歌うと全員が大喝采して喜ぶので、てっきり自分は歌が上手いと思い込んで、定年の日に同僚から「貴方はひどい音痴だ」と教えられ、大ショックを受けたらしい。
それでも事ある毎に歌い続け、その度に大喝采と大顰蹙を買っていた。

僕は、音痴ではないと思っている。
しかし自慢じゃないが、絶対に上手くはない。
だからカラオケの持ち歌は、音域が狭い歌、昔のアイドル歌手の浅田美代子とか、天地真理たちのモノか、あるいは大声を張り上げたり、身振り手振りで下手さが誤魔化せるものに限られる。

不器用なので、楽器も弾きこなせない。
指が短いだけでなく節くれだっているので、ピアノを弾くには不向きだ。
ギターのコードを押えるくらいならできるが、リードギターの役割など絶対に果たせない。
若いころ憧れたドラムは、手と足をバラバラに使うなどできっこないので、早々に諦めた。
一番芸術的才能に無関係に弾きこなせるのは琴だと聞いたが、優雅に琴を弾くには自分の人相風体がかけ離れすぎている。
そう言えば、小学校の時の合奏会でも、与えられた楽器は最初がカスタネットで、かなり腕を上げた後はハーモニカでしかなかった。

例えば絵画。
こちらは、歌よりもひどい。
全く絵心がないので、立体感を持って描くことが出来ない。
また色合いを絵具で調整するなんて、考えたこともない。
作品全部が二次元で平板なのに加え、色のバランスも極めて悪いので、どう贔屓目で見てもまるで感激がない。

例えば外観。
本人は二枚目の積りだが、他人様は性格派俳優向きだと言う。
性格もまた、俳優として別人になりきる演技をするにはシャイ過ぎた。
大体、嬉しくもないのに笑い、悲しくもないのに泣くのは、「嘘を言ってはいけないモーゼの十戒の教えに反している。

結局は、舌先三寸で人生を渡り歩いてきた。
これとて、芸人のように、それだけで金を稼げるような代物ではない。
詐欺師のように人を騙してきたわけではないが、仕事上は針小棒大、我田引水、唯我独尊の理屈で、自社製品を売る事で生計を立ててきた。
神様が唯一与えてくれた才能は、そんな、人様並みか、あるいはそれ以下の喋りだった。

だから、自分にないものに憧れる。
愛しい人を前に、見事に歌い、踊る。
あるいは、愛しい人に、自分が作った素晴らしい作品をプレゼントする。
そんな才能があればきっと人生が変わっただろうが、その方が幸せだったかは分からない。
千変万化、波瀾万丈ではなかったが、身の丈に合った人生だったように思う。