多くの功成り名を遂げた人たちの共通項は、話す内容が只々自分の事で、それも自慢話だけ。
他人の手前味噌の話など聞く耳持たず、全く興味を示さない。
人が話している時は、退屈そうにソッポを向いているものだ。
人間、それなりの経験を経るに従い、段々常識的になると思いきや、むしろ我が儘、短気、独り善がりになっていくようだ。
大経営者と呼ばれる人たちも似たようなもので、日経新聞「私の履歴書」なんて、謙虚な部分の披露もないではないが、それは次の自慢話の呼び水でしかない。
一か月に亘って、これでもかとばかりに自慢話を繰り返す。
出来ればお付き合いを御免蒙りたい連中が、毎度毎度登場している。
偶には、謙虚な人の履歴書も読んでみたいものだが、世の中、そんな奇特な人を探すのが難しい。
子供の頃は誰でも自制心や公共心などまるでないので、ほとんどが目立ちたがり屋で騒ぎまわるし、他人を押しのけてでも自己アピールにと務める。
しかし段々成長するにつれ、そんなに出しゃばる事は浅ましいと思い始め、むしろ他人を立てるように振る舞い始める。
それを「気配り」と称し、そんな配慮ができるほど「人間が出来ている」とか「いい人」と評価される。
しかし老境に至ると、自己顕示欲の塊のような人ばかりが目立っている。
例えば「私の履歴書」で、「周囲の手助けがあって今日の自分がある」と、一見謝意を表しているが、実はそれは仮の姿。
よくよく読み解くと、やはり最後は自分が活路を切り開いたと「自分が目立ちたい」「人からほめられたい」「人に認められたい」ように振る舞う人が何と多い事だろう。
でなければ、公共の公器を使ってまで、日本中に自分の自慢話を広めようとするはずがない、
大半の成功者が配偶者に感謝しているが、それは「仕事ばかりに熱中し家庭を顧みなかった自分を陰でサポート、子供をりっぱに育て上げた」と、判で押したように同じだ。
これも一見謙虚に見えるが、「家庭を犠牲にしてまで仕事を成し遂げた」との自己陶酔に過ぎない。
どんなに貴重な経験を重ねても、年を取るに従い、子供の性格に戻ってしまう。
人間は悲しい性を持っている。
尤も、大事をなすのはこんなキャラクターの人が大半で、謙虚で奥床しい人など、サポート役には適していても、リーダーにはなれない。
多くの敵を蹴散らして、目標を達成しようとする為には強烈な自負心が必要だ。
それは唯我独尊で、人を人とも思わない自信満々の人物のイメージと重なる。
他人の視線や思いには無関心で、自分の自慢話に終始する人物は、世間では成功者と見做されるが、周囲の人からは全く好意を持たれない。
平凡な人は、やはり他人との調和最優先、謙虚に生きる事がお勧めだ。