昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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原発ゼロを目指す為に

小泉純一郎が、華々しく原発ゼロを打ち上げた。
安倍晋三首相が原発ゼロと言えば実現できる」と言うのだから、おめでたい。
「代替案がないのは無責任」に対しては、「政治が方向を示せば、誰かが知恵を出してくれる」とは、これこそ無責任そのもので、呆れかえるばかりだ。
僕は長年営業の仕事に携わってきたが、「私の考えはこうで、あとは誰かが知恵を出してくれるはず」なんて言おうものなら、次からは出入り禁止を言い渡されるだろう。

僕だって、フクシマの現状を見れば、原発稼動のリスクは痛感する。
出来ればすぐにでも、原発ゼロ社会が実現されればいいなぁと思っている。
原発を安全に稼働させる知恵は、残念ながら今の人類は所持していない。
しかしだからと言っていきなり原発ゼロで、日本社会の持続的発展が担保されるのか?
そこまで大げさでなくても、我々の生活レベルが維持できるのか?
そこに自信が持てないから、困り果てているのだ。
夏の冷房、冬の暖房が制限されると、途端に快適さが消えてしまう。
贅沢に慣れきったが我が身が、そんな耐乏生活に戻れるとはとても思えないのだ。

もはや2年半以上も前の出来事なので、危機感は薄らいでしまっているが、東北地方を襲った大地震後の計画停電には、心底困ってしまった経験がある。
直接に地震津波の被害を受けた東北地方は言わずもがなだが、関東地区では一週間に亘った計画停電の所為で生産計画が組めず、やむを得ず一週間生産ストップした企業が続出した。
関東でモノ不足が騒がれた原因は、大半が計画停電によって齎されたものだった。
無論今になっては、あれは時の民主党政権の幼稚さ、経験のなさからきた大騒ぎだったと判明しているが、当肘は、電力が不足するので電車が突然に止まるとか、深刻に考えられていた。

だから電力に関しては、為政者は常に、「絶対に安定供給が可能」と約束するべきであり、偶々何とか切り抜けられたと言って安心できないし、ましてや誰か第三者の知恵を期待した発言などは慎むべきなのだ。
大いに期待された太陽光発電風力発電もまた、安定した電力の供給源とは言えない。
太陽光発電に至っては、コスト的にも既存の供給源の倍。
馬鹿首相だった管直人が人気取り目標で、鳴り物入りで導入したにも拘らず、これが増えれば一般市民に負担を強いる構造なので、既に購入価格は三分の二にまで下がる事態となっている。
最も太陽光発電の先発地域、欧州での実績を見れば、太陽光発電は今後ますます競争力が低下していくと思われている。

エネルギーの確保は、国家の生命線だ。
無謀と言われた太平洋戦争だって、直接的には日本が鉄鋼や石油の手当を制限された為に発生したもの。
エネルギーが不足すれば、とんでもない非常事態だって起こりかねない。 
化石燃料に頼る現状の電力生産は、中長期的に見れば、決して安心できるものではない。
切り札と思われていた原発は、肝心要の安全性に大きな疑問符が投げかけられた。
更に小泉純一郎の主張で、これは珍しく全くの正論だが、廃棄燃料の処理には目処すら立っていない。
そんな難問山積なのだから、原発即時廃止の主張は分かりやすいし、僕も根本では賛成する。
しかしそれはやはり、他の電力供給源を確保する事が前提だ。
もしくは、日本全体で、夏の冷房、冬の暖房をやめてしまうほどの犠牲を伴わなければ、全く絵に書いた餅以下の意見でしかない。