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関口宏「サンデーモーニング」は馬鹿番組……と思う

TBSの関口宏サンデーモーニング」は、どうにもならない馬鹿番組だ。
余りの馬鹿さ加減に、ついつい毎週見てしまう。

コメンテーターがひどい。
8日、サッカーの中西哲生某は、今回の秘密保持法案について「違和感」を力説。
「違和感があるから、この法案は駄目」と言われても、聞いている方は何が何だかわからない。
女性コメンテーターの西崎文子教授某。
「戦争をする国は情報を国民に隠す。アメリカがそうだ。しかしアメリカは三権分立しているが、日本は……..」と言うが、アメリカが戦争をする国なら、三権分立していても何の役にも立っていないではないか。

最後は元衆議院議員田中秀征某。
「政権が国民を馬鹿と見ているかどうかが問題」と、安倍晋三政権が国民を馬鹿にして無視しているかの如くに扇動する。
しかし彼の言う「国民」とは、一体何のことだろう。
実は「国民」とは、単純に画一された、一枚岩の存在ではない。
ごく普通に、ある価値観を持った人と、それには絶対に反対する人たちが混在している。
それが「国民」なのだ。

早い話が世の中には、自民党を支持する人たちもいるし、反対に共産党を支持する人たちもいる。
キリスト教徒もいるし、仏教徒もいるし、稀にイスラム教徒もいる。
ややこしいのは、この対立する価値観の人たちは、話し合いで相手の意見に変身するほど、軟な存在ではない事だ。
キリスト教徒にとっては、神はキリストだけであり、イスラム教徒はアラーだけを信奉している。
唯一絶対の神を巡っての議論なので、自分の正しさを証明するためには闘いすら厭わない。
そこまで深刻ではなくても、特定秘密保護法案にしても、国家の為には絶対に必要と思っている国民もいるし、国家が戦争をたくらんでいるに違いないと疑う国民もいる。

中国や北朝鮮のような、国家の意思に反する意見は徹底的に弾圧する絶対主義国家とは違い、民主主義国家は反対意見の存在を認めているので、国民の価値観は多様だ。
それなのに「国民」と一括りにして、「安倍晋三と官僚は、国民を馬鹿にしている」と、聞いたように批判するのに、何の意味があるのだろう。
実はこんな無意味な意見程、聴衆を愚弄しているのだが、善意の人で良識派を気取る田中秀征は、「これこそ正論」とばかりに、したり顔で説教する。

関口宏は、口癖のように「こんな重大な問題、皆で考える時期に来ているのかもしれません」と結ぶ。
「皆で考えても」、結論は必ず分散する。
ましてや最後に「かもしれません」と、責任をボカしてしまう。
こんな無責任司会者が、あたかも日本のオピニオンを代表するような立場でものを言う。
これこそ、「皆で考えなければならない問題カモシレマセン!」だ。