昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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既視感

来年三月には仕事を辞めることにした。

その後何をしようかと悩み、結論として読書三昧の生活に決めた。
そうなるとセッカチ気質なので、すぐに準備にかかる。
この二、三週間で、およそ100冊以上の本を買い込んだ。
その内、四分の三は東野圭吾の本。
これで彼の著書はほぼ全部かと思ったが、本屋で見る限り、半分にも至っていない。
改めて東野圭吾って、物凄く多作の作家だと感心してしまった。
百田尚樹東川篤哉有川浩も大量に入手したので、これで退屈する心配はない。

何から読もうかと悩んだ挙句に手に取ったのは、東野圭吾の「パラレルワールドラブストーリー」。
しかし読み始めた途端、「これは以前に読んだことがある場面だ」と感じた。
毎朝の通勤途中の並行して走る電車で、隣の電車に乗っている美女を見初める。
意を決して相手の電車に乗ってみると、彼女が逆に今まで彼が乗っていた方の電車に乗っていた。
主人公と彼が思い焦がれる女性のすれ違いから始まるのが印象的な小説なのだが、肝心のストーリーを全く思い出さない。

今までなら、ある程度まで読めば結末が分かるはずなのに、読めども読めども、全く初めて手にした小説と一緒なのだ。
結局そのまま、最後まで読んでしまった。
そして結末は、最後の最後まで分からないままだった。
これなら、今後の読書用として、100冊も買い込む必要はなかった。
どうせ結論が分からないのなら、数冊を何度も回し読みすればよい。

松本清張も多作で有名な作家で、その大部分を読んでいるはずだが、中身を覚えている作品は少ない。
さすがに「点と線」とか、「砂の器」とか最後の結論を知っている作品もあるにはあるが、これはそのほとんどがテレビとか映画で見た作品ばかり。
短編の「西郷札」は先だって読み直したし、「眼の壁」あたりになると、もう一度読んでも初めてと一緒なのではないだろうか。

これは、何度読んでも面白い傑作なのか、はたまた当方がボケた証拠なのだろうか?
また一つ悩みが増えた。