昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ウォーキングの新発見

先週金曜日に、会社を辞めた。
土曜日と日曜日は、それまでの労働への安息日なので、仕事の延長線。
そんな理屈で、それまで通りの怠惰な休日の過ごし方をした。
だからアフターリタイアメント生活は、実は今日、3月10日月曜日から始まる。
時、あたかも三年前の大地震記念日の一日前、吉永小百合69歳の誕生日の三日前。
と言う事は、大イベントにはまるで無関係で、実は何にもない3月10日が、僕の第二の人生のスタートになる。
先ずは、一日二食の食生活に切り替える。
起き出した後しばらくは、ウォーキングにでかける。
これが今までの生活との、一番の違いだ。

仕事をしている間は、ウォーキングなどに時間を割く余裕はなかった。
しかし今は、ウォーキングで、時間をつぶさなければならない。
自分が置かれた、環境の変化を痛感する。
年を取るに従い、知力、体力、資力は全て心細くなるが、時間だけはたっぷりとある。
これも全て、僕が深く信仰する八百万の神様の思し召しに違いない。

この日の為に数年前に買い込んでいた、ブリジストン製スポーツシューズを着用。
そして、玄関を出て向かう方向は、それまでの通勤コースとは真逆。
仕事へ向かう道は、人家が密集し、ソコココに店舗があるが、ウォーキングコースはすぐに民家がなくなり、川や畑が広がっている。
今の家に住んで25年近くなるが、すぐ傍にこんな田園風景が広がっている事を知らなかった。
この日は強風が吹き荒れている、
土手の上に立つと、アゲンストの風に煽られ、目を開けているのも辛く、鼻水が垂れそうになる。
そんな中を黙々と歩き続けるのは、修行僧の荒行にも見える(のではないかな?と自画自賛)。

ところが、しばらく歩くうちに、予想もしない事態が発生した。
何と、「便意」が生じてきたのだ。
仕事人間だった時は、朝食後に決まって便意を催していた。
だから食後に腸が活動し始めると思い込んでいたが、実は運動によっても動き始めるようだ。
段々家から離れていくのに比例して、段々便意は強くなる。
周囲には誰もいないし、ポケットにティッシュさえあれば、辺り一面は絶好の「自然の厠」なのだが、ウォーキング初心者は、そんな用意が出来ていない。
歩き始めて25分、ついにこれ以上前に進むと、取り返しがつかない事になると思い、無念のUターンを決意。
帰路は更に急ぎ足になり、約20分で家に辿り着いた時は、脂汗が出るほどの緊迫状態だった。
この間の歩数は6300歩。
初めてのウォーキングは、およそ5km走破で終了。

しかし、周囲に小学校や、幼稚園があるのを発見したし、全く無名で、偏差値はさぞや低いだろうが、それでも一応大学と名がついている施設の正面玄関も初めて見た。
土手の上には、「海から87km」の看板が立っていると、我が家は太平洋から100km近く離れているので、津波の心配はないなと安心する。
土手から見渡す限り、田んぼや畑が広がっているのも初めての発見で、これなら大河が氾濫しても、我が家まで水が押し寄せる事もなさそうだ。

長年通いなれた道の反対方向は、まるで無関心の世界だったが、そんなところにも新しい発見がある。
明日からのウォーキングが楽しみになった。
しかしティッシュと、居場所確認のためのスマホを忘れないようにしないといけない。