昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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想像力を鍛えないと

最近ツラツラ思うに、想像力ってすごく重要なんじゃないだろうか。

例えば地元韓国だけでなく、日本でまで人非人の如く罵倒されているセウォル号の船長だ。
彼は、殺人罪で告発されるとの話まで出ている。
朴槿恵大統領からは、格好の責任転嫁の相手にされて、すっかり大悪人扱いに晒されている。
しかし僕自身は、もしも自分があの船長と同じ状況に陥った時に、「僕だったら、必ず船に残り、乗客救出を優先した」と、言い切れるほどの自信家ではない。
船の操縦に詳しく、船の沈没が避けられないと知れば知るほど、目の前に救出船がいるのに、果たして船内に戻って、死を覚悟したうえで乗客救出の指揮を執る事が出来ただろうか。

しかしそんな僕でも、船長としての任務を放棄して我先に脱出した場合、例え生き延びても世間からどう思われるかは想像できる。
世間から袋叩きに合い、犯罪者として扱われる今日の姿は、脱出する前に容易に分かる。
その結果、世間の攻撃の刃の向かう先は自分だけではない。
自分の家族も、関係者も、全員が社会全体から敵視される。
だから職業意識とか、倫理観のような崇高な思いではなくとも、「こんな事をしたら、世間様に顔向けできない」と、本能的に思うはずだ。
無責任で自分勝手な推測でしかないが、僕はそんな打算から、船に残る選択をしたような気がする。

規模は違うが、フジテレビが小保方晴子さんを揶揄するような番組を企画していたらしい。
小保方さんの弁護士がフジテレビに対して抗議したので放映されなかったようだが、これも「視聴率が取れれば、何をやっても良い」との考えが根底にあるとしか思えない。
社会の関心が高いテーマで笑いを取るのは良くある手法だが、小保方さんは一般人だ。
しかも組織から見放された、弱い立場にいる人だ。
そんな人を、笑いを取る為に揶揄すれば、当然問題視される。
フジテレビが、あるいはめちゃいけの制作関係者が笑いの対象にするべきは、権力を持つ理研側であって、ニュースバリューがあるからと言って弱い立場の人間で笑いを取るべきではない。
これもまた、想像力の欠如だ。

企業でも、凡庸な指導者には、鋭いオリジナリティなど全く備わっていない。
ややこしい人間関係の会社をうまく泳ぎ亘る能力だけで生き延びた連中には、既にどこかで聞いたような、当たり前の結論しか思い浮かばない。
誰かが「選択と集中が大事」と言えば、「そうだ、そうだ」と長期的視野など欠落した事業整理ばかりを追求してしまう。
「高付加価値分野の育成を急ぐべき」と言われると、まるで無批判に、売値が高い製品だけが重要と勘違いしてしまう。
自分で事業の行く末を自分で想像できないから、他人の知恵を借りてしまう。
そんな企業が、生き馬の目を抜くような国際社会で勝ち残れるはずがない。

実際にエクセレントカンパニーと称される会社の経営者は、悉く、自分の頭で自分の企業の将来を考え、自分の責任でそのオリジナリティの実現を目指してきた。
GEジャック・ウェルチの二番煎じや、ピーター・ドラッガーやフィリップ・コトラーの物真似などは、決してしないものだ。
優れた経営者がいたからエクセレントカンパニーに成長したのか、あるいは逆でエクセレントカンパニーだったから優れた経営者が育ったのか、因果関係は不明だ。
しかし、優れた経営者の全てが、自社事業の将来に対して優れた想像力を持っている。

他人から抜きんでるためにも、他人から誹りを受けないためにも、将来をイメージする能力は絶対的に重要だ。