昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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ドイツの最高峰、ツーク・シュピッツェ征服の巻

この日は、ドイツの最高峰、ツーク・シュピッツェの山頂を目指す。
と言っても、その最高峰まで、列車とロープウェイを乗り継いでいくのだから、山登りの辛さは皆無。
ただ乗り物に乗っているだけで、3千メートルの山頂を極めることができる。
このツーク・シュピッツェ鉄道には、DB(ドイッチェ・バーン)の地下道を横切らなければならない。
ところが、三番ホームのリフトの前で、杖をついた老人が立ち往生している。
見るとリフトが故障中で、重い荷物を持って階段の上がることが出来ないようだ。
義を見てせざるは勇無き也。
サッと荷物を持ち、サッサと階段を上がり、荷物をホームに置くとすぐに取って返す。
老人が手すりに縋りながら登って来る途中ですれ違うと、嬉しそうに「ダンケ」と礼を言われた。
朝からいい気分だ。

この日は、生憎と曇天。
下から見上げても、山頂が全く見えない。
マッターホルンに続いて、今回の旅行では山関係にツキがない。
妻に「どうしよう?」と声をかけると、案の定、「行く!」と即答する。
マッターホルンは下から見上げることに意味があるが、ツーク・シュピッチェは山頂に立つことに意味がある」と、独自の、しかもかなり我田引水的理屈を捏ねる。
一人51ユーロは高いが、確かにこの山に登る為にガルミッシュみたいな田舎駅に逗留したのだからと、斯くなる上は覚悟を決めた。

始発駅は客が少なかったが、途中から高校生の集団、更に次の駅では、修学旅行の小学生集団が乗り込んできたのでほぼ満員になった。
これで1時間半ほどかけて、終点の山頂を目指すのだが、最後の三分の一は、全てトンネルの中。
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そのトンネルが尽きたところが、ドイツの最高峰だ。

曇天のために、周囲360度、全く何も見えない。
途中から雨まで降り出し、視界はわずか10メートルほど。
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何も見えない景色とはこんなモノ。
山男たちが、冬山で遭難するのが理解できた。
それでも、山頂のシンボル、十字架の写真をゲット。
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微かに見える十字架が、ドイツ最高峰では、有り難味も半減以下。
それでも、この地に立った痕跡だけは残して、山下りも勿論鉄道を利用。
9時15分に出発し、12時50分に下山した。
こんな短時間で簡単に山登りができるなんて、世の中便利なものだ。

この頃は、下界は久しぶりの大雨。
傘を差していても、ずぶ濡れになる。
そんな中でも音楽好きの妻は、「近所にリヒャルト・シュトラウス記念館があるから行きたい」と言い出す。
例の「ツァラツァストラはかく語りき」の作曲家で、僕も一時期この曲が大好きだった。
そこで、大雨の中を件の建物を探すが、ちっとも見つからない。
犬を連れた地元の老婦人に尋ねても、「知らない」と言う。
諦める直前で、びしょ濡れになりながらやっと見つけた記念館だが、これが今まで見た中では最も詰まらない代物。
第一、大作曲家の記念館に、CDがズラリの展示されているなんて、おかしいだろう!
とにかく一応見るだけは見たが、ソソクサと退散した。

ガルミッシュから、15時7分発DBでミュンヘンへ。
これで旅の残りは、最後の訪問地、ミュンヘン観光だけになった。
夕方5時過ぎには、6日間滞在するミュンヘンのホテルに到着。
町全体が、この夜のドイツ対ブラジル戦で盛り上げあっている。
夕食は軽めにと、ホテル近所の日本料理店に。
たまたま隣り合わせたアジア人男女二人連れに、「日本人?」と聞くと「Korean.」と答える。
最近日韓関係は冷え込んでいるが、ヨーロッパで出会うと、不思議に親近感を覚える。
すっかり話が弾んだが、恋人同士と思っていたのに、何と親子とのこと。
母親を、「随分と若く見えます」と褒めたら、大いに喜んでいた。
こんなところから、竹島を取り戻せたら、安いものだ。
今日は朝から、良いことを二つした。

サッカーの試合は、開始後数十分で決着がついた。
旅の疲れから寝込んでいたら、ドイツ勝利に喜び叫ぶドイツ人たちの大声が聞こえてきた。