昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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イタリア人って

イタリア人を、数多く知っているわけではない。
深く話し合って、理解しあえたイタリア人など、一人もいない。
だから、イタリア人を一括りにして決め付けるのは危険だし、不遜なのは分かっている積りだ。
それでもイタリアの一箇所に一週間以上も滞在すると、それなりのイタリア人像が出来上がる。

街中で見かけるイタリア人は、男女とも総じてカッコいい。
男は、サッカーのデル・ピエロみたいな顔をしたのが多く、またブラッド・ピッドのような顔立ちの青年も多く見かける。
町で屯している若者どもは、学校の成績はさぞや悪かろうと思われるが、ファッションセンスは素晴らしいし、顔だけはハンサム青年が多い。

女性は、ほとんど例外なくボディーコンシャスファッションに身を包んでいる。
そして半分以上の女性が、胸を露にして、街中を闊歩している。
「これでもかッ!」とばかりに、胸を大きさを強調されると、か弱き日本男児は目のやり場に困ってしまう。
イタリア人には、男女とも、ビキニのパンツが似合う。
間違っても、白のデカパンは穿かないはずだ。

こんな男女が腕を組んだり、腰に手を回したり、手をつないで歩いている。
人目も憚らず、公衆の面前でいちゃつく輩も多い。
他人の目があるにもかかわらず、自己陶酔的に、自分たちだけの愛の世界に没入している。
恥じらい文化の日本人から見れば、犬畜生と同じだと思える。
しかしイタリアでは、そんな堅いことを言うのは、無粋だと考えるようだ。
ガイドブックにも、「街中での濃厚な愛情表現は、イタリアでは普通のことです」と書いてあり、好奇の眼で見ないように、サラリと指導されていた。

但し、中年以降のイタリア男女は、下腹が出っ張って、かなり太めに変身している。
若かりし頃の栄光は、年をとった後はほぼ跡形も無く消え去っている。
顔立ちがハッキリしているのは、クドイともつながるので、皮膚の張りが無くなった中高年には、見てくれの良いイタリア人は少ない。
ドイツのゲルマン野郎は、若い奴らは無骨で、ヘアースタイルも昔のナチを思い出させる刈上げが多い。
ところが、こんな連中が年をとるに従い、貫禄たっぷりで押出しの強い見事な中年、老年紳士に変身する。
落剥気味のイタリア中高年とは対照的だ。
若者でカッコいいのは圧倒的にイタリアだが、中高年になるとドイツに軍配が上がる。

イタリアの先人たちは、世界に先駆けた文化を作り上げた。
町中至る所に、有名な人物の銅像が立っている。
また、石畳の道路や、路面電車も風情がある。
イタリアを歩くと、歴史と文化の香りに溢れていることに気がつく。

しかし今のイタリア人は、ごく一部に、例えばファッションの世界に世界的な技能者がいるが、一般的には熱心に努力して生活水準を高めていくような、進取の精神が見えにくい。
街中に跋扈する物乞いが多い。
スリやかっぱらいを生業とする連中や、料金をインチキするタクシー運転手もかなりの数いる。
一部の分野では世界をリードする国だが、別の面では発展途上国そのもの。
ヨーロッパの代表する国にしては、極端な二面性が目立つ。

イタリア人は、寓話「アリとキリギリス」の中では、間違いなくキリギリス派だ。