昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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大災厄

僕は末っ子なので、当たり前だが弟も妹もいない。
ただ10歳違いの姪がいて、これがいつも「お兄ちゃん」と呼んでいたので、何となく妹がいるような気分でいた。

その姪っ子に、大災厄が襲いかかっている。
先ず、連れ合いが変調をきたし、会社を休んでいる。
その連れ合いの父親、つまり姪っ子の義父が、長い闘病の挙句、ついに息を引き取った。
そしてその同じ日、姪っ子の母親、即ち僕の姉が、将に突然に言葉が出なくなって入院した。
翌日精密検査の結果、事態は重篤であることが判明。
連絡してきた姪っ子は、電話先で泣いていた。
一人っ子で、既に父親は10年前に逝去している。
元々純粋で繊細な姪っ子なので、一度にこんな災厄に見舞われた時の肉体的、精神的な負担が心配になり、姉の見舞いと姪っ子の激励に出かけてきた。

姉は、自分の方からはうまく言葉が出てこないが、こちらの言うことは理解している。
彼女の言葉は日本語になっていないが、目つき、顔の表情、何より長年聞き慣れた姉の喋り方から、何を言いたいのかほとんど理解できる。
担当医も含めコミュニケーションが取れないと診断されていた姉だが、周囲にはあたかも僕との間で話が弾んでいるように見えたようで、大いに驚かれた。

この日は日帰りする積りだったが、姪っ子はどうしても自宅に留まってほしいと言う。
連れ合いの調子が悪いし、きっと陰々滅々とした雰囲気に違いないと思い、これ以上の負担を掛けたくないと、最初はこの要請を固辞していたが、姪っ子のストレスを少しでも解消できたらと思い直し、一宿一飯の恩義に預かる事にした。
すると日頃は口の重い連れ合いも、ビールを大量に買い込んできて、三人で深更まで四方山話に花が咲いた。
その結果、あれほど沈み込んでいた姪っ子だったが、姉のドジな思い出話に笑顔を取り戻すところまで持ち直した。

何事にも生真面目で一所懸命な姪っ子に比べ、僕の生き方はふざけ半分と思われている。
確かに「ケセラセラ明日は明日の風が吹く」と信じているので、今まで何事かに必死の形相で臨んだ記憶はあまりない。
いつも逃げ道の為のスタミナを残しながら、最悪の場合に備えているような感じがあり、「真面目に取り組めばもっと良い結果が望めるのに」と言われ続けて久しい。
しかし周囲には不満タラタラだった性格も、常に超楽観的で深刻さが少ない分、いつも余裕残りの感じがして、他人が安心感を持つメリットがある。
今更変えようも変わりようもない性格だが、それが却って姪っ子の立ち直りに寄与したのなら、これに勝る喜びはない。

姉の容態は、当分は予断を許さない。
姪っ子は、気の休まる暇もないだろう。
チョット一っ跳びの距離ではないので、出来るだけ頻繁に電話する事で、姪っ子を励まし続けていく積りだ。
我々には、悲しんでいる暇などない。