昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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久し振りの故郷は

久しぶりに、故郷を訪ねた。
と言っても、二ヶ月前にも、大手術をする直前の姉を見舞いに行ったことがある。
この時は、姉を励ますだけでとんぼ返り。
今回は手術をした姉への激励と、義父の10周忌参加が目的。

姉は、術後の経過が良好だ。
前回は左脳にダメージがあるので、発する言葉がほとんど日本語になっていなかった。
表情やしぐさで言いたいことが分かるので、家族や近親者とはコミュニケーションが成り立つと思っていたが、それはこちらが、姉を言いたいことを推測、想像したものでしかなかった。
しかし今回は、キチンと話が成立する。
病院から外泊許可も出たので、姉が一人住まいしていた家にも行って見た。
するとすっかり里心がついたのか、「やはりここで暮らしたい」とか、今は乗り手が無くなった車も「運転なら出来ると思う」と言い出した。
このような変化は、気力が戻ってきた証拠なので大歓迎なのだが、病状そのものは完治したわけでもなく、依然として厳しい状況が続いている。

しかも、退院後の身の処し方が、大問題として残っている。
最早病院では、治療の余地がないらしく、早々に退院を勧告されている。
色々ときれいごとを言うが、実態は「医は算術なり」を痛感する。
姉の一人娘は、「自分が家で面倒を見る」と言うが、彼女自身が病弱な上に、仕事も抱えている。
デイケアセンターも視察に行ったが、「知り合いもいないこんな所は嫌、家族が一番」と、姉がいい顔をしない。
金曜日から日曜日までは家庭、その他はデイケアセンターみたいな折衷案も考えざるを得ない。
元来食の細い姉は、手術を経て更に食べなくなっている。
また足腰も弱っているので、転倒の心配も尽きない。

家族も兄弟も、姉に一日でも長生きして欲しいと思っているが、その為には乗り越えないといけない壁が立ちはだかっている。
それでも笑顔も増えたし、家族や周囲の人への心配りも復活している。
翌日帰宅の途につく僕に対して、寒風吹きすさぶ季節だからと遠慮しても、「どうしても」とわざわざ玄関先まで見送りに出てくる姉を見ると、「このまま元気になってくれるかも」と、一縷な期待感を持ち、涙が出そうになった。

続いてその足で、義父の10周忌参列で妻の実家に向かう。
義父が死んだ時は、タイに出張中だったので、慌てて戻ったものの、葬儀には途中からの参列となった。
実力一本である地方組織のトップにまで上り詰め、受勲までするほどになったのだが、昔気質の人で、人付き合いが大の苦手。
努力をすれば報われると信じ込んでいた部分があり、情実人事や根回しなどが理解できない。
そんな人だったので、僕の妻も含めた子供たちにも、「まっすぐに生き、実力を身につければ、必ず報われる」と、超昔風の教育をしていたようだ。
無骨で古色蒼然とした考え方だったので、周囲とぶつかる事も多く、人間関係では悩みも多かったようだが、僕はそんな義父が好きだった。
今なら大問題になりそうだが、「オンナには教育は不要、早く結婚したほうが良い」と考えていたようで、そんな義父の言動が、妻が僕との結婚を急いだ原因にもなっていると思われる。
その点では、妻はどう思っているのかは不明だが、僕にとっては恩人の一人と感謝しないといけない。

そんな義父が死んで、最早10年が過ぎた。
その10年で、僕は仕事が変わり、リタイアし、姉の一人が死に、もう一人が病気になった。
間違いなく僕の周囲は変わり、僕も年をとった。
久しぶりに故郷を訪ねると、そんな変化の原点を確認したくなる。

ウォーキングのついでに、昔懐かしいラーメン屋に行った。
嬉しいことに、料金は500円。
味は、まるで昔のまま。
ラーメン激戦地の関東は、濃い味付けが大流行で、そんな味の店が人気が高いが、こんな故郷のラーメンの味は、この地以外で巡り合うことはない。
懐かしさの余り、折角だからとラーメン店を三件も梯子してしまった。