昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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世の中から電子音を排斥しよう

「ピロポロピロ」
どこからともなく、何ともへんてこりんな音が聞こえてくる。
途端に慌てて、ポケットのスマホを探る。
そんな習性が、身についてしまった。

今や世の中、電子音塗れだ。
一昔前までは、電子音はあるにはあったが室内に限られていた。
しかし先ず携帯電話の普及で、電話の着信音が室外に飛び出した。
続いて各人がオリジナルに拘り始めたので、様々な着信音が行き交うようになった。
その結果、自分の着信音が分からなくなり、公共の場で着信音が聞こえると、やはり右往左往してしまう。

時は巡ってスマホの時代。
今度は電話だけでなく、メールやメッセージ、留守電、その他諸々で違った電子音を登録するようになった。
その為に、更に様々な電子音が溢れかえる事態となっている。
IT社会に不慣れな老人は電子音が聞こえる度に、自分には関係ない事と分かっていても、泡を食ってしまう。

テレビが一家に一台から、部屋に一台になるまで、四十年くらいはかかっただろう。
しかし携帯電話やスマホは、わずか十年もしないうちに、老いも若きも一人一人が所持する時代となった。
電車の乗客も、半分以上はスマホか携帯電話を見つめている。
そんな急激な環境変化で、もはや公衆電話は探すことが難しい。
お蔭で、コレクションしていた吉永小百合のテレホンカードも、まるで無価値の代物に成り下がっている。

古き良き時代のメロドラマは、ストーリーを盛り上げるためのすれ違いが重要だった。
進行方向が逆の電車に乗った主人公同士が、窓越しにお互いを確認するが、如何ともし難い。
大木の背中合わせに相手を探すが、お互いに気が付かない。
観客をヤキモキ、イライラさせたそんな名シーンは、携帯電話の登場で激変。
今や、携帯片手にお互いの居場所が確認できるので、必ず出会うことが出来てしまう。
お蔭で、メルヘンチックなお話が絶滅してしまった。

確かに、行方不明になった徘徊老人の捜索には役立つだろうが、しかしそんな需要は老人に限られている。
緊急時の連絡にも、これほど便利なものはないが、全員が一斉に使用すると、途端に通信不能に陥ってしまう。
結局は、必要な人だけ限定して使用した方が、却って用を果たすことになる。
残りの多くはファッション性や、あるいはゲーム感覚で所持しているにすぎない。
ショッピングや外食などの情報も溢れているが、利用者のスマホウォーキングが危ないと問題になるご時世だ。

誰もが、スマホは便利と思い込んでいる。
が、別段なくても生きていけない訳ではない。
そもそも、ネット依存症になると、自分でモノを考えなくなってしまう。
例のリケンの小保方女史まで嵌まってしまったコピペ中毒になり、些細な情報までネットに頼りきりになる。
その結果我々の周囲は、増々あらゆる電子音が飛び交う事態となり、その度に寿命が縮む思いに駆られる。

ここまで定着したスマホや携帯電話を、今更使用禁止になどの野暮は言わない。
しかしせめて、電子音くらいは排斥して欲しいものだ。