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マララ女史の美談

三人の日本人物理学者が、ノーベル賞を受賞した。
青色LED技術と言う、確たる実績を評価されての事なので、大変お目出度い。
日本人として、自分の事のように喜んでいる。
ついでながら、受賞者の中村修二と赤崎勇の両氏は、実は犬猿の仲だと聞いたので、その詳細が分かれば、今回のノーベル賞授与の話題がもっと盛り上がったのではと、惜しまれてならない。

と、こちらは大喜びモード満載なのだが、ノーベル平和賞に関しては違和感を持ってしまう。

元々ノーベル平和賞には政治絡みの受賞者もいて、他の部門に比べてその対象となるべき実績が分かり難い。
我が日本国首相だった佐藤栄作も、非核三原則提唱の理由で受賞したが実は密約があったり、韓国の金大中北朝鮮との友好を進めて受賞したが、その為に不正手段を弄したのではと問題となるなど、ノーベル賞の中でも胡散臭い分野だ。
世界最大の核所有国アメリカのオバマ大統領が「核なき社会」の演説で受賞するのはブラックユーモアに近い。
そう言えば、日本の某宗教団体の元リーダーも、この賞の受賞を切望しているとの噂まである。

その平和賞の今年の受賞者の一人が、パキスタンのマララ・ユサフザイ女史、17歳だ。
史上最も若い受賞者としても、話題になっている。
しかし何と言っても彼女を有名にしたのは、故郷パキスタンでの学校帰りに、イスラム原理集団、タリバンに襲撃され、あわや一命を落とすかの重傷を負いながら、「女性に教育を受ける権利を」と主張し続けている事にある。

国連での名演説も、今回の授賞式でのスピーチも、内容だけでなく、その堂々とした態度も含めて、世界中から賞賛されている。
今や世界でも最も有名な17歳だが、その積極的な活動の所為で、却ってタリバン勢力から嫌悪され、命を狙われているとも言われている。

僕が違和感を持つのは、彼女の主張に対してではない。
彼女の受賞をきっかけに、世界中で教育を受けられない子供が6千万人以上いるとか、大変な苦労をしながら通学している子供たちの映画が話題になっている事が紹介されていた。
女性であれ、子供であれ、平等に教育を受ける権利を有しているのは間違いないし、是非とも世界中で、彼女が主張する教育環境が整えばよいと思っている。

しかし、子供が教育を受けられない、学校に行けないのは、いくつかの理由があり、その各々で対応策が違うはずだ。
原因として一番考えられるのは貧困で、生活費を稼ぐのが急務なので、子供も貴重な労働力と見做されると、学校どころではなくなる。
世界中のスラム街では、そんな光景が見られる。
紛争地もまた、自分たちの生死が最優先課題になるので、子供の教育などは後回しになる。
子供が教育を受けられないのは大半がこんな理由だろうが、マララ女史の場合は宗教が絡んでいる。

僕はイスラム教には詳しくないが、マララ女史を襲撃したタリバンは、「女性は教育を受けてはいけない」と主張し、その権利を剥奪し、学校を破壊しているらしい。
イスラム教の教えの中に、そのように解釈できる部分があるのだろう。
しかしイスラム教徒のマララ女史は、女性が教育を受ける権利を求めて、世界中で活動している。
であれば、マララ女史は、先ずはイスラム教の中で自分の主張の正当性を訴えなければならない。
いくらイスラム教徒以外の人たちから同情されても、あるいは支援されても、イスラム教徒からの理解がない限り、彼女は安心して教育を受ける事は出来ないし、彼女の主張の「子供達の教育を受ける権利」も、イスラム社会で広がる事はない。

日本のマスコミにも、マララ女史の評判はすこぶるよろしい。
アメリカでも、オバマ大統領が直接にマララ女史と面談し、彼女の勇気を讃えている。
確かに、命の危険も顧みずに、「女性に権利を、子供に教育を」と訴えるマララ女史の行動は感動的だ。
しかし僕には、その行動の向かうべき方向が、違っているように見えてならない。