昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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グッバイ小沢一郎

僕はこのブログでも、小沢一郎について数回コメントしている。
世間の評判は悪い政治家だが、僕は比較的彼に対して好意を持っていた。
日本人は一般的に群れたがるが、小沢一郎は珍しく孤立を恐れない政治家のイメージだったからだ。
新党を作っては壊し続けたので、「壊し屋」と揶揄されたが、それもまた彼の純化路線の故と見ていた。
しかしその小沢一郎の政治的影響力は、衰退の一途だ。
前回の総選挙では、彼の同志だったはずの多くの政治家たちは、自らの生き残りのために「生活の党」を捨て、他党から立候補した。
選挙結果は、「生活の党」所属議員がわずか四名に減少、政党補助金の受給資格も失ってしまった。
進退窮まった小沢一郎だが、それでも誰かを引き抜いて、何とか五名の頭数を揃えて政党の体をなすものにすると思われていた。
しかしそれでも、小沢一郎が一昔前の輝きを取り戻すことは絶対に不可能だ。

小沢一郎が絶頂を極めたのはわずか五年前、民主党政権交代を果たした時だ。
その民主党の実力者幹事長として、将に飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
武勇伝も数知れず。
手下を140人以上ひきつれて中国、胡錦濤主席に拝謁して国内では顰蹙を買ったが、本人は「日本の最高実力者」と紹介されヤニ下がっていた。
自宅で新年会を開催すると、当時の鳩山首相や、後に袂を分かった菅直人が提灯持ちで駆けつけ、集まった民主党議員は180人以上。
将に小沢一郎が、我が世の春を謳歌していた時期だ。

しかし好事魔多し。
その絶頂期の2010年1月に、元来何かと悪い噂が絶えなかった政治資金問題で、東京地検の家宅捜査を受けた。
以降の小沢一郎は、民主党代表選で菅直人に敗れ、実質的に民主党から追放され、新党立上げに走らざるを得なくなった。
そしてその挙句が今回の総選挙で、かっては小沢王国とも言われた自身の選挙区でも大苦戦。
流石に何とか本人は当選したが、彼が代表を務める「生活の党」は壊滅的なダメージを喫した。
ここで潔く、「私の使命は終わった」と引退すれば、大政治家小沢一郎として、後世に語り継がれたかもしれない。
しかし実際の小沢一郎は、最後まで数合わせに拘る政治家だった。

それにしても、今回の小沢一郎は醜い。
最後の悪足掻きとして、今回小沢一郎が引き抜いた議員は、何と山本太郎
この選挙では、反原発で生き残りを図った菅直人を応援していた政治家だ。
そして菅直人は、当初小沢一郎へのゴマスリに徹していたが、政治資金問題が発覚した途端に掌を反して、自らの保身の為に小沢追放に走った、小沢にとっては許すことが出来ない政治家のはずだ。
そんな菅直人の応援団まで勧誘するとは、節操の欠片も感じられない。

山本太郎は、先の参議院選挙の泡沫候補と見られていたが、日本人の嫌原発意識の高まりで当選してしまった。
しかしその後の議員としての活動は、案の定と言うか、世間をお騒がせするだけで、何一つ具体的に成し遂げたものはない。
そんな山本太郎も、「無所属ではできない事がある」と思っていたようだ。
双方WIN-WINで新党と言えばカッコいいが、実際ははぐれ者同士が政党助成金目当てにくっついたと見るのが妥当のようだ。
しかもその政党名は、「生活の党と山本太郎となかまたち」。
悪ふざけではないかと疑ってしまう。

既に死に体状態だった小沢一郎も、今回の山本太郎との野合で、その政治生命は終わった。
小沢一郎は、黙っていても総理大臣になるとまで評価され、田中角栄金丸信の寵愛を一身に受けていた。
その所為で反発も絶えず、毀誉褒貶が激しかった個性的政治家、小沢一郎だが、既に72歳。
流石の小沢一郎も、自分の耄碌は防げなかったようだ。
良くも悪しくも、それなりに存在感があった小沢一郎だが、今の落剝の姿は見たくなかった。