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オウム事件は終わっていない???

3月20日は、オウム真理教の信徒たちが、地下鉄霞が関駅でサリンをまいたテロ事件から20年が経過した日だったので、各局で特集番組が組まれていた。
そして必ず「オウム事件は、未だ終わっていない」とのフレーズが流れる。
確かにサリンの後遺症に悩まされている被害者が多く居たり、オウム真理教の後継団体が活発に活動している。
しかし一年に一度、こんな気の利いた風の台詞を流すのに、何か意味があるのだろうか。
オウム事件を忘れてはいけないとの主張だろうが、被害者以外はこの季節に特集番組で改めて思い出すのが現実だ。

各マスコミの報道で、違和感を覚えるのは、首謀者、麻原彰晃をよぶ時に必ず、「麻原彰晃こと、本名、松本智津男」と注釈をつける事だ、
高倉健こと本名、小田剛一」とか、「黒木メイサこと本名、島袋さつき」など、一度として聞いた事がない。
何故、麻原彰晃だけに、こんなややこしい説明がつくのだろう。
推測だが、麻原彰晃(アサハラ・ショウコウ)と読むと、未だに宗教的影響があると恐れているのではないだろうか。
であれば、年に一度「オウム事件は終わっていない」と力説するマスコミこそ、オウムの呪縛に縛られ続けている事を自己暴露している。

宗教は本来、悩める人々の救済が目的のはずだ。
オウム真理教は幼児性のカルト集団だったが、世界では宗教が混迷の原因になっているケースも多い。
あれほど残虐な体質が明らかになっているのに、イスラム国を目指す若者は後を絶たない。
オウム真理教も然りで、裁判を通して浅原彰晃の醜態やインチキ性が明らかになっても、未だに浅原彰晃への帰依を続けている信者がいる。
若者が全てに満足し、覇気に溢れている社会なんか、今までもなかったし、今後もあり得ない。

浅原彰晃の三女、ホーリーネーム「アーチャリー」こと松本麗華が、モザイクなしでテレビ出演していた。
今では全く普通の御嬢さんで、オウム事件は知らなかった事や、父親への複雑な思いを話していた。
しかしこのオンナは、オウム教団では札付きのワガママ娘だったはずだ。
オウム真理教が総選挙で惨敗した時、「これは権力の陰謀だ」と騒いだのが彼女と言われている。
浅原彰晃は、当初は小さな宗教同好会の町長サン的リーダーで、いいオヤジだったらしい。
それがいつの間にか、信者に尊師と呼ばせ、自分を神と勘違いし、最後は破滅的テロの首謀者に成り果てた。
オウム真理教が解体されなければ、彼女は浅原彰晃の後継者だっただろうし、恐らくは浅原彰晃と同様の異常性を発揮しただろう。
麻原彰晃だけが狂っていたのではなく、彼を取り巻く環境も異常社会だった。
そんな環境に身を置くと、誰もが犯罪者になってしまう可能性は否定できない。
オウム事件みたいなことは、何時まで経っても、何かの拍子に発生してしまう。
いくら警鐘を鳴らしても、決して終わりはない。

僕にとっては、オウム真理教の問題は他人事ではない。
先ずサリンがまかれた日だが、僕は地下鉄で霞ヶ関駅を通った。
実は、一つ手前の駅で突然電車が止まったまま、動かなくなった。
恐らくは30分近く止まっていたと思う。
霞ヶ関駅で事故が発生した」と車内放送があったが、まさか毒ガスがまかれたとは思いもしない。

やっと動き出したが、「霞ヶ関駅は通過する」と放送され、ノンストップで走り抜けた。
その時に、ホームに駅員が倒れていたのが見えたので、てっきり喧嘩でもあったと思い込み、朝の忙しい時に迷惑な話と腹が立ったのを覚えている。
次の駅で降りると、そこでも駅員が倒れていた。
事情を知らないので暢気なもので、「今日は喧嘩が多い日だな」と思いながら会社に到着した。
すると妻から「大丈夫だった?」と、不安げな声で電話があった。
「何が?」と危機感ゼロで聞き返すと、「大変な事が起きたとテレビで放送している」と言う。
慌ててテレビをつけると、阿鼻叫喚の地獄絵図が放送されていた。
それから一気に、社員の安否確認作業が始まり、会社全体が緊張感に包まれる事になった。
実はサラリーマンの習性で、いつも利用する地下鉄の時間と、乗り込む車両は決まっていた、
後に分かったが、その二つ前の電車の、同じ先頭車両にサリンがまかれていた。
だから他人事とは思えないのだ。

後日談がある。
二日後に、上九一色村オウム真理教の拠点への、強制捜査が決行された。
先頭の機動隊隊員が、カナリアを掲げながらサティアンに乗り込む姿に、緊張感が溢れていた。
その後にサティアン内部がテレビで放送されたが、何とその中に我が社の製品が積み上げられていた。
そしてその製品を担当していたのが、僕のグループだった。
国民の関心が極めて高い強制捜査だったので、多くの関係者がこれを見ていて大騒ぎになった。
すると早速、会社の偉カツから「説明に来たマエ」と、招集がかかる。
責任逃れの魂胆が、ミエミエだ。

偉カツは最初から、「誰が、どのような手続きで、我が社の商品をオウムに販売したのだ?」と喧嘩腰で、まるで査問委員会で尋問するような雰囲気だ。
事前にグループ内で確認したところ、担当者から事情説明があった。
「五年ほど前、オウムと名乗る団体から取引要請があり、一見客なので断ると、宗教弾圧だと凄まれたので、代金先払いで販売した」と言う。
買ってはみたが、使い方が分からず、そのまま放置していたようだ。
当時は、若者が家を捨てオウム真理教に入信するのが問題視されていたが、後にテロまで引き起こす反社会的団体との認識はほとんどなかった時代だ。
社内手続きも、キチンとされている。
偉カツに対して、「五年前の取引で、社内手続きも踏んでいる」と、縷々事情を説明した上で、「オウム真理教の犯罪性が分かった後では、褒められた取引ではないが、当時の判断基準を問題にするべきではない」と主張した。
その後、社内でこの問題が持ち出される事はなくなったが、今でもオウム真理教と聞くと、この事を思い出す。

オウム事件が終わっていない」と言うなら、是非ともオウム事件の死刑囚の刑執行を働きかけてほしい。
日本が法治国家であり、死刑制度を採用しているし、死刑執行までの限度も決まっている。
法務大臣は、本人の個人的見解は様々だろうが、大臣としての責務は果たさなければならない。
浅原彰晃以下、オウム真理教関連では多くの死刑囚が確定している。
浅原彰晃を処刑すると、却って殉教者になるとの意見もあるが、それを恐れては死刑判決そのものが無意味になる。
我々が、我々なりに、オウム事件にピリオドを打つためにも、国家としての法律の遵守が必要だ。